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お正月。

 明けましておめでとうございます。

 明るくて穏やかなお正月です。

 嬉しいです。有難いです。 

 明るくて穏やかな毎日が続いてくれるよう、心から祈る昨今です。

 このように、穏やかなお正月を迎えることが出来るのは本当に有難いことです。

 今朝も、トルコの事件が報道されました。

 平和を守り続けることの難しさを、思い知らされるこの頃です。 

 さて、我が家の、細やかな正月飾りです。

 細やかでも、穏やかで安心して暮らせる毎日であって欲しいです。 

  お正月。.jpg


「歴史認識」とは何か  大沼保昭著  中公新書 ③

 89歳が亡くなった後、あちこちに問い合わせて届を出したり、書類を探したり、という煩雑な作業が続いていましたが、それらも何とか一段落。

 やっと、自分の時間を取る余裕ができました。

 「「歴史認識」とは何か・・・・・」の最後の回を放置したままでしたが、何とか今年中にアップすることが出来ました。

 

 


 

 

 第5章  二十一世紀世界と「歴史認識」 (続きの続き)

江川  戦争を違法化した不戦条約成立の3年後、1931年に起こした満州事変で日本は国際社会から批判されます。国際連盟はリットン調査団の報告にもとづいて、満州国は日本の傀儡政権であると認定し、日本は連盟から脱退してしまいます。そのときの批判は、相当に厳しいものだったのでしょうか。

大沼  当時、国際社会のあり方を主導していて東アジアの秩序に重大な関心をもっていた英米仏、とくに英国は、満州事変が起きたとき何とか日本をなだめ、日本と中国を和解させて事を荒立てないで解決したい、という意向でした。1929年に大恐慌が始まり、世界は深刻な経済危機に見舞われ、多くの失業者が出て国政も混乱する状況を呈します。とくにドイツの打撃は大きく、ベルサイユ体制に対する反感が強まって、ナチスが国民の支持を広げていきます。イタリアではファシズムが力を得てきている。そういうなかで、違法な戦争をおこなったからといって、日本と軍事的に対立するのは、英米仏としては避けたい。日本に国際連盟を離脱されるのも困る。そもそも国際連盟には上院が反対した米国は参加しておらず、英仏も連盟の弱体化は避けたかったのです。

 一方、米国の国内では第一次大戦後の戦間期には、米国が参戦したのはまちがいだった、という意識が強くなっていきました。ドイツだけでなく英仏の側にも問題があった帝国主義国家同士の利権のための戦いだったのに、純粋無垢なアメリカの青年たちがはるばる大西洋を渡って多くの死者が出た、という批判が高まります。建国の父、ワシントンはヨーロッパにはかかわるなといっていたではないか、といった孤立主義と結びついた平和主義の傾向が非常に強まっていました。そのため、米国も日本の満州事変を軍事力の威嚇で阻止しようとまではしないわけです。

 そういうなかで国際連盟から派遣されたリットン調査団は、欧米列強の意を体して非常に微温的な報告書を提出します。日本がやったことは国際法上明らかに問題があるとしながらも、日本の経済的権益に中国側も配慮すべきだとするなど、日本にとって必ずしも不利なものではありませんでした。ところが、国内で極端にナショナリスティックな感情が高まっていた当時の日本は、リットン調査団の妥協的な報告書でさえ断固拒否という声が強く、結局国際連盟を脱退してしまった。

 満州事変は、明らかに関東軍の陰謀でおこなわれた武力行使ですから、不戦条約と当時の東アジアの国際秩序を形づくっていた九カ国条約に違反する、違法な戦争であることはまちがいない。にもかかわらず日本政府と軍部は、自衛権の行使であると言い張ったのです。

 日本のなかにも、ごく一部ですが、それを批判した知識人がいました。たとえば、東京帝国大学で国際法を教えていた横田喜三郎教授。戦後最高裁判所長官になった人物ですが、「自衛権の行使ではない。国際法に違反する」と批判しました。それが右翼の逆鱗に触れ、自宅には「売国奴」「不逞国賊、覚悟しろ」といった文書が何通も舞い込み、その後は沈黙を守らざるを得なかった。そうした状況下で、ほかの国際法学者からも、正面切って満州事変を国際法上違法な武力行使だと批判する声はほとんど出なかった。---

--- 大手の新聞や多くのジャーナリズムは軍部、政府に追従して、むしろ満州事変を支持する声を煽り立ててしまった。---

 このように、満州事変は違法な武力行使であるという国際社会の評価とそれを断固支持するという日本国内の評価との間には、大きなずれが生じてしまった。中国の多くの国民にとっては、日本の軍隊が陰謀を仕立てて中国の東北地方を一挙に占領し、自分たちが革命で倒した清朝の愛新覚羅溥儀を皇帝として満州国という傀儡国家までつくったことは、とうてい許せない行為です。民族主義が刺激され、ますます反日感情が高まっていきます。

 その後、事変は小康状態になったのですが、今度は1937年に盧溝橋事件で日中両軍が衝突し、日中戦争へと発展していきます。この時は、参謀本部は早期に戦争を終結したい意向だったようですが、むしろ政府が強気で、近衛首相が「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」という声明を出してしまい、全面的な戦争に深入りしていきます。

 日本の行動を非難しながらも事を荒立てないで済ませたいので、ある程度宥和的な政策をとっていた米国も、ついに1941年8月、中国から撤兵しなければ石油を全面禁輸する、と日本に通告し、日本は中国から撤兵するか、それとも米国と一戦交えるかという瀬戸際に追い込まれます。中国からの撤兵は断じてしない、米国から石油が供給してもらえなくなるのなら南方で石油を確保しようということで、南部仏印に進駐した。米国からすると完全に一線を越えたということで、日本軍の中国および仏印からの全面撤兵を要求する「ハル・ノート」を突きつけ、それを受け入れない日本が真珠湾攻撃をするという展開になってしまったわけです。

江川  国際連盟脱退を、日本の新聞や国民は大歓迎してしまった。そんななかでも、連盟脱退は得策ではない、と論陣を張った人から学ぶことも大きいですね。

大沼 石橋湛山がその代表ですが、小日本主義・満蒙放棄論を説いて、経済的な繁栄こそ追求すべきであって軍事力で他民族を威圧するべきではない、と節目節目で言い続けた。彼は、正しいことをいいながら、逮捕もされずちゃんと生き延びたわけです。英雄的行為で弾圧される、あるいは下手に弾圧の口実を与えてしまうのではなく、したたかに生き延びる。それは、学者であれジャーナリズムであれ、一般の市民であれ、大事なことでしょう。権力の介入を招くような材料をジャーナリズムが与えるのは愚かですし、かつての知識人の間では獄中で何年間も耐え抜いた共産党員の話が英雄物語として語られましたが、牢獄に入れられてしまったら発信できなくなってしまう。石橋湛山のように、弾圧されないでまともなことを国民の耳に届く形で発信しつづける。それは、とても大事なことではないか。---

江川  第二次大戦がそれまでの戦争と異なるのは、どういう点でしょうか。

大沼  第二次世界大戦は文字どおりの世界戦争でした。第一次大戦も米国が参戦して連合国を勝利に導き、日本も中南米諸国も参戦しましたが、基本的にはヨーロッパの戦争だった。第二次大戦は一般には1939年のドイツによるポーランド侵略に始まると考えられており、41年まではやはり基本的にヨーロッパの戦争ですが、日本の参戦以降、中南米諸国、エチオピア、リビア、トルコ、エジプトなどのアフリカ、西アジア諸国も含む文字どおりの世界戦争に拡大しました(形式的に日独などの枢軸国に宣戦しただけで実際に戦っていない国もありますが)。ただ、世界戦争といっても、日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国はもっとも多い時期でもわずか八カ国で(満州国など傀儡国家は除く)、43年以降イタリアをはじめ五カ国が離脱し、45年には日独とタイの三カ国だけになってしまった。日本とドイツは世界、あるいは国際社会全体と戦う形だったのです。

 また、第一次大戦の場合、戦争の原因はドイツ側、英仏側の双方にありましたが、第二次大戦では、日本には満州事変から真珠湾攻撃と、国際法に反した、不正な軍事力の行使があり、ドイツも1939年9月1日に突然ポーランドを侵略した。日本とドイツは、明らかに自らに非がある、弁明の余地のない戦いをやってしまった。第1章でお話したように東京裁判は「勝者の裁き」であって、いろいろ不公平なことがあったのはたしかですが、その「勝者」たる連合国は国際社会のほとんどすべての国だったわけです。その意味で東京裁判とは「国際社会による裁き」でもあった。---

江川  そのような民間人まで巻き込む凄惨な戦争は、戦後の国際法あるいは国際社会の倫理観に、どういう影響を与えたのでしょうか。

大沼  国際社会といっても価値観や歴史的経験を異にする国々からなる社会ですから、第二次大戦の受け止め方にも国によってかなり違いがあります。たとえば日本では、絶対平和主義が高まり、憲法第九条をつくり、それを維持してきて、戦後70年経っても平和主義的思潮はかなり根強い。

 戦後の国際秩序づくりを主導した米国を中心とする連合国は、戦争の違法化をさらに徹底させて平和を目指すという点では日本と同じでしたが、その平和を担保する手段という点では絶対平和主義とは異なる思想に立脚する集団安全保障体制 ─── 国際連盟もそうでした ─── の強化という道を選んだ。つまり、違法な戦争(厳密には武力行使)に訴えようとする国に対して国際社会のすべての国が制裁を加えるという威嚇を制度化することによって戦争を防ごうという体制で、これが国際連合です。

 ただ、国連は、米英仏中ロという常任理事国が一致しなれば制裁ができない仕組みになっているので、実際にはなかなかうまく機能しない。--- 

 さらに、そもそも国連は、米英仏中ロという軍事大国のいずれかが違法な武力行使をおこなっても、それを制裁によってやめさせることはできない。---

 それでは、そうした違法な武力行使への国際・国内世論の高まりがこれらの軍事大国に対する強い圧力として働いたのはなぜか? それは、連盟規約以来の一貫した戦争違法化の流れのなかで、自衛以外の武力行使を禁ずる戦争違法観が普及して、世界の諸国民の規範意識として共有されたという事実によるところが大きいのです。

 また、神様でも天使でもない人間が、第二次大戦後70年にわたって世界大戦を起こさなかったことは、高く評価しなければならない。第一次大戦が終わってから、日本の満州事変まで10余年、ドイツのポーランド侵攻によって第二次大戦が本格的に始まるまで、第一次大戦後の世界平和は20年しかもたなかった。数千万人の犠牲者を出した第二次大戦の教訓 ─── 東西陣営が本格的な核戦争を起こしたら、その第二次大戦の犠牲者をははるかに上回る犠牲者を出してしまう。それはどんなことがあっても避けなければならないという認識 ─── は、戦後米ソの最高指導者を含む世界の指導者、そして広範な市民に共有されていたのです。---

江川  戦争犯罪を裁くために国際刑事裁判所という常設の機関があります。これはどのようにしてつくられたのですか? その意義と問題点を教えてください。

大沼  ------- 司法裁判所を安保理という政治的機関の決議で設置するのは、被告人の人権保障の観点から好ましくないわけで、多数国条約によって「人道に対する(犯)罪」などの重大な犯罪を裁く恒久的な国際裁判所をつくるべきであるという声が高まり、1998年に国際刑事裁判所を設立するローマ規程が締結されました。--

 ただ、課題はきわめて多い。まず、参加はいまだに世界の6割にとどまり、米国、中国、インド、ロシア、イスラエルなどは参加していません。ヨーロッパと中南米の国々の参加は多いのですが、アジアでも参加は日本、韓国、フィリピンなどに限られています。---

 それに、内戦状態の国も、いったん戦いが終熄すれば、それまで憎しみ合い、殺し合っていた者が協力して国家再建に向かわなければならないのに、個人に対する刑事責任の追及はそうした和解と協力を阻害するのではないか、という問題もあります。---

江川  西欧諸国と途上国との関係をみると、アフリカや中東の人々がかつての宗主国に移民として行って、そこで生まれた二世、三世はその国の国民であるにもかかわらず差別を受け、偏見の対象とされ、不満を高めていくなかでテロに参加するというケースが相次いでいます。またパレスチナ問題も、元はといえば第一次大戦中に、アラブ人にはオスマン帝国支配下におけるアラブ人居住地の独立支持を約束し、ユダヤ人にはパレスチナでの建国を認め、フランスとは中東分割の秘密協定を結んでいたというイギリスの三枚舌外交が原因ですね。この問題がずっと解決しないなかで、イスラーム過激派がそれを利用する。そういう事例をみていると、かつての植民地支配、帝国主義を反省せずにきたツケがたまって、今に至っているという気もします。

大沼 そこは欧米諸国の「歴史認識」の重大な問題です。2001年の9・11同時多発テロ事件のあと、ブッシュ大統領が対テロ戦争を「十字軍」と口走った。欧米からみれば十字軍は聖地を異教徒の支配から取り戻す聖戦だったかもしれないが、アラブ諸国、ムスリムの人たちからみれば各地で残虐行為を働いた侵略であったという、「あちらの側からみた歴史」。この構図が理解できていないのです。欧米諸国のこういう無邪気で自己中心的な歴史認識は、植民地支配に関しても顕著です。---

--- 日本とドイツは明らかな侵略国であり、敗戦国であったために、戦後厳しい反省を迫られ、実際に反省してきた。そころが、ドイツ以外の欧米の大国は、戦勝国であったがゆえに、植民地支配と帝国主義外交を支えた非欧米諸民族への優越感を真剣に反省し、植民地支配の悪に正面から向かい合う機会を今日までもてていないのです。欧米の指導者・知識人は、人権や環境、民主主義などの理念について、自分たちが教師であるという無意識の優越感をもって日本や他の国々にお説教を垂れる。こういう傲慢さを感じてしまうから、西欧で育って西欧の高度の民主主義、人権保障に接しているはずのムスリムの二世などがテロに走ってしまう、という一面があるのでしょう。---

 人間というのは、とかく自己中心的で傲慢になりやすいものです。「歴史認識」をめぐって日本が批判の対象になっていることは、自分を省みるうえでよい機会になっている。自らの過去を反省しつつ、欧米諸国にもそれをうながす。それが21世紀のよりよい国際社会のあり方につながる。そういう発想が必要なのではないでしょうか。

江川  同じ敗戦国でも、ドイツの戦争に対する向き合い方は、国際社会に評価されているようにみえます。どういう点が評価されているのでしょうか。

大沼  ドイツは、第一次大戦で敗戦国になって、植民地をほとんど奪われています。ですから、第二次大戦の際には植民地支配の責任は問われていません。ドイツがこれまで謝罪してきたのは、主にホロコーストについてです。---

--- たしかにドイツは日本より戦争責任について国際社会で高い評価を受けている。なぜか。ひとつには、ドイツは国家の指導者がわかりやすい形で自己の反省と謝罪を表明してきたことがあります。---

--- 国内では徹底した非ナチ化政策を推進して、人種差別やナチスの称揚などを刑事罰の対象としています。表現の自由を一定程度制限してでも、ナチス的なものが再び影響力をもつことを抑止する法制を取ってきたのです。教育でも負の歴史を次世代に伝えていく努力が続けられてきました。

 ドイツは別に道徳的・倫理的観点だけからではなく、「ホロコースト」の汚名を負ってしまったドイツ人が戦後の世界を生き抜いていくための国民的利益の観点から、こういう行動を取ってきたのです。--- 

 日本が戦後一貫して平和主義を維持してきたのは、まちがった戦争をしてしまったという深い反省に立脚するものだったし、戦争賠償を放棄してくれた中国をはじめ、戦争で大変な被害を与えた東南アジアの国々、植民地支配をした韓国へも巨額の経済協力をおこなって、これらの国々の経済的向上に貢献してきた。日本の首相はくり返し反省と謝罪のことばを述べてきたし、サハリン残留朝鮮人の永住帰国や在韓被爆者への手当、元慰安婦の方々へのアジア女性基金による償いなど、反省にもとづく行いは積み上げてきました。ただ、政治指導者の象徴的行為、その広報という点では、外務省や首相の周辺にいる人がもうすこし有効なアドバイスができないものか、と思います。---

江川  イギリスは非常に多くの地域で植民地支配をしたわけですが、そのわりには過去についての批判が聞こえてきません。なぜなのでしょうか。

大沼  英国の場合、事例がきわめて多様で、なかなか一般化して語れません。たとえば、植民地化される前に高度に発達した国家組織がほとんど存在していなかったアフリカの国々と、ムガル帝国が存在していたインドとの場合とでは、支配された人々の意識は異なるでしょう。もっともムガル帝国は、北方からやってきたムスリムの王朝であって、元々インドに住んでいた人々からすればこの王朝も外来勢力というわけですから、支配者がムガル帝国から大英帝国にかわっただけで、あまり違いはなかったという人も多かったかもしれない。そもそも、異民族支配それ自体が悪いという意識が高まるのは、ナショナリズムが重要な意味をもつようになった19世紀以降のことなのです。--- ただ、中国に関していえば、現在の中国の明らかに過剰な被害者意識に責任があるのは、日本に次いで英国でしょうね。中国の「国恥百年」という考え方は、アヘン戦争の敗北から始まります。いきさつはひどいもので、清との貿易が赤字だった英国がインド産のアヘンを中国に売り付けたのが、そもそものきっかけです。アヘン中毒者が増えたため清はアヘンの使用を禁止し、英国の貿易商が保有していたアヘンを没収し、それがきっかけで戦争になるのですが、英国議会でも反対の声が強かった。戦費の支出を認める予算は僅差で通るなど、英国にもさすがにアヘン貿易のため戦争をやることへの批判は強かったのです。この戦争に勝って英国は香港島を割譲させ、九龍半島南部を奪い、北部の99年間の租借を中国に認めさせた。

 香港は1997年に中国に返還されますが、当時、欧米の発想が支配的な国際社会の関心は、もっぱら「英国が育て上げた香港の民主主義が、共産党独裁の中国の下で維持されるだろうか」というものでした。日本のメディアもそういった論調だった。ほとんど唯一、作家の陳舜臣が、これはまずは「歴史の清算」であり、植民地支配の終焉なのだと指摘しました(『朝日新聞』 1997年7月1日)。わたしはまさにそうだ、と膝を打った記憶があります。

 返還式典でも、アヘン戦争の流血や植民地支配について英国からの謝罪はありませんでした。---

 こういう事実を思い起こすと、「欧米は日本を批判する前に自国を省みてはどうか」という声が出てくるのも、無理からぬところだと思います。---

江川  フランスも、英国に次いで多くの植民地を支配していましたが、やはり謝罪はしていませんね。

大沼  していません。フランスは自国の文化の優越性に強烈な自負をもっていて、しばしば「フランス文化」ではなく「フランス文明」と呼びます。「フランス文明」は普遍的なもので、それを広めるのは自らの使命であるという考えをフランス人はもっていたし、今日もそういう発想は一定程度残っている。--- 

 しかもフランスの場合、アフリカに植民地が多い。アフリカでは、元々国家としての一体性や共有する伝統文化をもたずに小規模な民族集団が分かれて住んでいた人々が、植民地としてヨーロッパ列強によってつくられた国境で支配され、そうした人為的につくられた地域の人々がひとつの「国家」として第二次大戦後に次々に独立したわけです。そういう国々は、国民的一体性を基礎づける経済的基盤もなく、旧宗主国の援助なしには国家が成り立たないような状態だった。しかも、異なる民族との間で通じる共通語はフランス語しかない。このような状況の下では、フランスの植民地支配責任を追及する意識はなかなか生じにくい、という事情があるかと思います。----------

江川  大沼先生はメディアの公共性と責任ということを一貫して主張してこられましたが、ジャーナリズムや出版に携わる者はどういう姿勢で「歴史認識」問題に向かい合うべきなのでしょうか。

大沼  慰安婦問題については、日本の政府と国民が元慰安婦の償いをおこなおうとしたとき、日韓の多くのメディア、とくに韓国のメディアが「日本からの償いを受け取るべきではない」という大々的なキャンペーンをおこないました。それは、被害者から自由な選択を奪い、さらに日本から償いを受け取った被害者が韓国国内でそれを公にして生きていくことを決定的に困難にしました。韓国メディアはその点について深く反省すべきであり、自己の権力性を十分に自覚して活動してほしいということは、第4章でお話ししました。

 中国のメディアの場合は、共産党独裁政権による情報統制という問題があります。そうした抑圧的な体制が永久に持続することはないでしょうから、中国でも報道の自由が実効的に保障される日は必ず来るでしょう。しかしそれは今日明日に期待できることではない。短期的には、事実を歪め、不都合な事実を報じない中国メディアに対しては、そうした事実を冷静に指摘しつつ、できるだけ日中のメディアの関係を複線化、複々線化させ、中国メディアがすこしでも正確で公平な対日認識をもって中国社会全体の変化を先導できるよう、粘り強く働きかけていくしかないでしょう。

 その際に、過去に日本が侵略によって中国に甚大な被害を与えたという事実を踏まえて自己抑制的な姿勢をとりながら、という配慮はやはり必要だと思います。---

 日本のメディアに対しては、以前より明らかに不信感が強まっています。--- 自分の思う方向に都合のよい事実をつまみ食いして都合の悪い事実には触れない、さらには事実を歪曲して自分の「ストーリー」に沿って誌面・紙面・番組をつくる ─── 多くの週刊誌とテレビではとくにその傾向が強い ─── やり方がマスメディアの信頼感を傷つけている。それは、こういったメディアにかかわる人たちに真剣に考えてほしいことでです。---

 ただ、少なくとも新聞いついていえば、わたしは日本の新聞は全国紙にせよ地方紙にせよ、国際的にみてずいぶんましなほうだ、と思ってきたし、今もそう思っています。---------

江川  21世紀になり、日本の国内ではかつての侵略を否定する声まで出てきている状況であり、片や中国や韓国は日本をますます厳しく批判し、「歴史認識」をめぐる対立は以前より強まっています。この状況を克服して、日本が「歴史認識」について中国や韓国とわだかまりのない関係を結ぶことは、果たして可能なのでしょうか。--- 

大沼  日本について「歴史認識」が問題になるのは、ほとんどの場合、1931~45年の戦争で日本が中国をはじめ多くの国に国際法に違反する侵略戦争をおこない、その過程で虐殺などの非人道的行為や深刻な人権侵害を行ったこと、1910~45年の朝鮮植民地支配で重大な人権侵害を引き起こし、朝鮮民族に強い屈辱観を与えたことにかかわっています。こうした行為について日本は、東京裁判の判決を受諾し、一連の講和条約、賠償協定、国交正常化条約・声明で被害を受けた国に賠償支払いや賠償に代わる経済協力をおこないました。そうした国々の政府も、国内の被害者への部分的な補償をおこなったり、その他の政策で被害者の不満を抑え込んで、日本との国際関係を ─── 国交正常化がなされていない北朝鮮以外は ─── 取り組んできたわけです。

 ところが、1980年代以降、日本を含む多くの国々で個人の人権を重視する考えが政治や外交の面でも力を得てきて、とくに21世紀には「人権の主流化」といわれる傾向が明らかになっています。また、民主化と情報化の進展によって、メディアを通じた人権被害者の声が、事例によってはきわめて大きな力をもち、政府の行動にも大きな影響を及ぼすようになってきました。こうした傾向によって、過去に被害者や一般市民の声を抑え込んで政府間で合意された「解決」が事後的に問題とされるようになってきました。---

 日本政府の官僚たちはとても有能な人たちですが、こういったタイプの問題への対処は大変苦手なのです。また、韓国では「運動圏」と呼ばれる在野の活動家、NGOなどが強い力をもち、慰安婦問題などではほとんど政府に当事者がいないといっていいくらい、社会的な影響力がある。中国でも、共産党と政府が絶対的に民衆を従わせる時代は遠い昔のことで、21世紀の今日では、ネット上で燃えさかる共産党・政府の対日「弱腰」姿勢への批判・非難に神経を使わなければならない。---

 「歴史認識」問題が21世紀に再燃しているもうひとつの理由は、一部の途上国が20世紀後半から21世紀にかけて経済発展を遂げ、現在先進国となっている旧植民地支配国への経済的依存状況から徐々に脱しつつあるということです。

 20世紀後半、途上国の多くは非常に貧しかったので、その国民は生きるのに精一杯でした。また、国家とても経済力が弱かったので、現在先進国となっているかつての列強、帝国主義諸国から戦争や植民地支配で重大な被害を受け、その後も不平等関係で屈辱を味わってきたのに、先進国に対して補償や謝罪を要求したくてもできなかったのです。ところが、国家として一定の経済力をもてば、経済的な不利益を被ることを恐れて要求を控える必要がなくなる。国民も自己が被った被害を「人権侵害」と考えることができるようになってくる。かつては日本よりはるかに貧しく、経済的弱者の立場にあった中国と韓国が日本や自国政府を批判し、訴えるようになった理由のひとつは、こういった両国の経済的地位の向上、国民の人権意識の向上にあります。

 このことは今後の世界を考えるうえで示唆的です。英仏の旧植民地の多く、とくにアフリカの旧英仏植民地の国々は、経済的にまだきわめて弱体であり、国民も生きるのに精一杯という国も少なくない。他方、英仏をはじめとするかつての欧米列強は、第二次大戦の戦勝国として、先進国として、20世紀後半の世界を指導し、国際社会の運営を担ってきた国々であって、欧米中心の発想を基本的に維持して今日に至っている。そうした状況下では、韓国が日本に対して強く主張しているような、旧宗主国の植民地支配の責任は、そもそも問題にならない。こうして、第二次大戦後、「歴史認識」にかかわる問題は、日本とドイツの「専売特許」の様相を呈していたわけです。

 けれども、21世紀になって、20世紀の欧米中心の世界秩序は明らかに揺らいできている。中国は急速に強大化し、現在世界第二の経済大国であり、近い将来米国を凌駕して世界一の経済超大国になるとも予想されています。むろん、しばらくはひとりあたりの国民所得は日本や米国よりもはるかに低水準にとどまるでしょうし、世代別人口のいびつな構成や共産党独裁体制が崩壊する可能性など、予測も多々あります。わたしも、軽々に中国の将来を予想することは控えるべきでしょう。

 ただ、中国を含む個々の予測はともかく、こうした経済発展・大国化は、インド、インドネシア、トルコなど、中国以外の非欧米諸国にもみられる、21世紀に顕著な現象です。相対的にみて、米国・西欧諸国といった、第二次大戦前は列強として戦後は先進国として20世紀に世界を牛耳っていた諸国の影響力が低下し、かつて植民地支配や列強の軍事的・経済的干渉に苦しんだ国が欧米先進国に経済的に肩を並べつつある ─── 長期的には凌駕する可能性もある ─── ことは、人類史の全体的趨勢のように思われます。

 このように、非欧米諸国が経済力をつけ、国際的発言権を高めていくなかで、これまで日本が中国や韓国から批判されてきたような構図が、こうした国々とかつての植民地支配国である欧米先進国との間でみられるようになるかもしれない。--- 

 日本には、同じように植民地支配をやっていながら、なぜ日本だけが非難されるのか、せいぜい日本のほかはドイツが「加害者」として挙げられるが、いつも「ドイツはよくやったが、日本はまだ反省・謝罪が足りない」といわれるのはおかしい、という不満、不公平感が以前からありました。--- わたしはこうした不公平感は当然であり、正しい感情・思いだと思っています。日本国民は、日本を批判しながら、植民地支配、ベトナム、中南米諸国への軍事干渉、国内での非道な弾圧など、自分たちの過去の負の面には向き合ってこなかった西欧や米国、中国やロシアを批判してよいし、批判すべきだと思います。---

 日本国民の多くは戦後、20世紀の戦争は日本が犯した重大な過ちであり、そのおかげで自分たちの両親、祖父母の世代を300万人以上死なせてしまったのだから、それを教訓にして戦後平和で経済的に繫栄した国をつくるのだと、必死に働いてきたわけです。そして、そうした思いを基に、わずか半世紀で、他の国が驚嘆するような平和で安全で豊かな、そして貧しい国々に経済協力・技術協力をおこなって途上国の経済発展、衛生の向上、多様な文化の享受を助ける、そういうすばらしい国を築き上げたのです。---

 それだけすばらしい国だからといって、もちろん完璧ということはあり得ない。欠点も負の側面も多々あります。国が抱える膨大な借金は大変な問題だし、高齢化と少子化、予算・人員削減による大学の研究教育の劣化、多くの地方の町や村の「崩壊」など、問題は多々あります。「歴史認識」問題も、そうした負の側面のひとつではあるでしょう。---

 そもそも、「歴史認識」にかかわるいろいろな問題について、戦前の日本の対応は非常に悪かったのです。中国人や朝鮮人を見下し、侵略と植民地化の対象とし、東南アジアの人々も「南洋の土人」と蔑視していた。欧米の列強がもっていた人種主義・民族主義的偏見を戦前・戦中の日本人は色濃く共有していたし、自国の利益のためには他国に武力を行使するのも ─── これまた欧米の列強と同じく ─── 厭わなかった。それが、敗戦により戦前・戦中の軍国主義を深く反省し、一貫して世界でもっとも武力行使に用心深い、平和主義的文化の社会を営んできた。---

 そのように一歩一歩積み上げてきたすぐれた遺産を、21世紀になって、嫌韓・嫌中の感情の爆発で捨て去ってしまうのは、あまりにももったいない。---

 自国を悪くいわれるのはいやだ、というのは自然な感情で、決してまちがった感情ではありません。しかし、日本人が日本を好きなら、韓国人は韓国を、中国人は中国を、好きななずです(---)。そして、自国への批判であれ、他国への批判であれ、それがどの程度多面的な事実にもとづいたフェアな批判かということが重要なのです。自分では正しい、当然だ、と思っていることが、外国からみればとんでもない、ということも、山ほどあります。反論されたらカッとならずに自分の「常識」と相手の「常識」を冷静に比べ合わせて、なぜ自分と相手がそう思い込んでいるのか、検証してみるといい。--- 

 「歴史認識」をめぐっては、日本国内でも感情的な論争になりがちですが、今お話ししたことは、国内の論争にもあてはまることでしょう。

 最後に、1970年代から「歴史認識」にかかわる問題に取り組んできてつくづく思うのは、社会というのは、よいこともすれば悪いこともする「俗人」と、ごく一握りの聖人と大悪人からなっているということです。わたし自身、かなり背伸びをして「戦後責任」を主張し、差別はけしからんなどといっていたのですが、しょせん俗人ですから実際にやれることはほんのちょっぴり。わたしのまわりで正義を唱え、正論を吐いている人も、ほとんどわたしと似たような人であって、聖人はまずいない。ですから、「歴史認識」をはじめとして社会のあり方にかかわる議論は、社会というものがこうした俗人からできているのであって、聖人の行動を求めるべきではない、という認識を頭の片隅に置いてやったほうがいい。---

 かつては、「聖人」の議論をするのは、「護憲派」に代表される「左翼」「リベラル」であって、「保守派」からは「世のなかを理窟だけで動かそうとしている」「青い」議論、観念的な理想論とされてきました。ただ、そのような「保守派」にも、健全な社会をつくっていくにはこうした青い理想論も必要であって、それを建て前のうえだけでなく、実際の社会の運営にも一定程度取り込むという、保守主義の知恵があったわけです。ところが、1990年代以降、「保守」を称する人たちの間にも、こうした人間の不完全さを無視した、歴史と社会に、つまり人間というものにとても無理な要求を主張する人が増えてきた。---

 日本と連合国の講和を「苛酷な講和」という「保守派」もいるようですが、人類の歴史、さらに日本と戦った国々にもわれわれと同じ人間がいるのだということをよくよく考えていただきたい。戦勝国にも多くの家族を殺され、重傷を受け、強姦された多くの国民がいる。まして日本が戦った1931~45年の戦争は、日本が攻めてこられた戦争ではない。日本軍が中国で戦い、真珠湾を攻撃したことから始まった戦争なのです。日本は約300万の人が亡くなりましたが、中国をはじめ日本と戦った国々はおそらくその3~5倍程度の人たちが日本軍に殺されている。---

 大部分の人間は俗人だし、国家というのは「非道徳的な社会」(ラインホルト・ ニーバーという米国のすぐれた保守主義者・神学者のことば)ですから、人間よりももっと悪い行動を取る。世界で生きていくうえで、わたしたちは、「よりましな悪(lesser evil)」を求め、それを積み重ねていくしかないのです。---

 「歴史認識」という「固い問題」も、こうしたごくあたりまえの生活感のなかで、あまり肩肘張らずに考え、語り合い、自分の考え自身を絶えず疑いながら、その考えに従って行動していけばよいのではないでしょうか。---

 

聞き手をつとめて                           江川紹子

        ---------------------------------------------------

 

 今は日本ばかりが責められているように感じているかもしれないけれど、侵略や植民地支配を行ってきたのは日本だけではない。アジアやアフリカの諸国が経済的に発展していけば、欧米諸国も同じように、過去の侵略や支配の責任を問われる事態がありうる、という話は、とりわけ示唆的だった。そう考えると、日本は高齢化だけでなく、「歴史認識」をめぐっても、世界のトップランナーといえるだろう。だからこそ、私たちはどのようにふるまうかを考えなければならない。

 そんな話に、目から鱗が落ちる思いだった。

 「歴史認識」を問い直すことは、他国とのつきあいをうまくやるためではなく、日本がどういう国であろうとするのか、つまりは日本の〝国柄”を考えるために大切なのだ。過去を振り返るためというより、将来の日本のありようを決めていく土台として、「歴史認識」は重要なのだ。--- 

 

 


 

 江川紹子さんと同じように、私も「目から鱗が落ちる」思いでこの本を読み終えました。

 現在のヨーロッパで起きている問題についても、日中韓の問題についても、日米の関係についても、どのように考えればよいかを、この本は教えてくれています。

 

 

 


森に帰ったサンタクロース。

 昨日のケーキに飾ってあったサンタクロースです。

 森に帰って頂きました。

 木の根っこに坐って、一休み。

 プレゼントを配るのも大変ですから、ゆっくりお休み頂くことにします。

  森に帰ったサンタクロース。.jpg


クリスマスイブ。

 本日は、クリスマスイブ。

 我が家も、細やかながらクリスマス気分です。

  クリスマスイブ。.jpg

  脂肪分を摂り過ぎました。胃もたれ感が・・・・・・。

 さて、89歳関連のいろいろに忙殺されて、年賀状がまだ手付かずです。 

 明日から、年賀状作りに専念しなければ。 


富士山。

 89歳が亡くなりました。

 89歳が生前に購入していた墓地は、高台にあります。

 昨日、いろいろな準備のために墓地に行ってきました。

 くっきりと富士山が見える場所にあります。

 昨日は、快晴で厳しい寒気のお天気でしたから、一際くっきりと富士山が見えました。

 富士山は、いつ見ても厳粛な気持ちになります。本当に姿の美しい山です。

 富士山。.jpg 

 


「歴史認識」とは何か  大沼保昭著  中公新書 ②

第5章  二十一世紀世界と「歴史認識」(の続き)

江川  その後の第一次大戦で、それまでの戦争観は変わりましたか。

大沼  19世紀から20世紀初頭の欧米中心的な国際社会で、戦争は国家政策のひとつと考えられていました。外交の延長線上に戦争があり、外交と戦争を組み合わせて国家利益を実現するというのが、ヨーロッパの古典的な国際関係観だったわけです。第一次大戦勃発の時点で、ヨーロッパの指導者たちはそう考え、適当なところで外交交渉から講和となって終わるだろうと考えていたといわれています。ところが、科学技術の進歩のおかげで兵器の殺傷能力が高まり、戦車、毒ガスも使われ、また軍隊だけでなく国民も総動員される総力戦となって、それまでの戦争とはまったく違う大規模な殺戮戦になってしまった。--- 指導者が適当なところで手を打ってやめようと思っても、民衆がそれを許さない。

 軍事的にも、ドイツ、オーストリア=ハンガリーの同盟国軍とイギリス、フランス、ロシアなどの連合国軍は力が拮抗しているので、お互いに決定的な打撃を与えられない。米国が参戦して軍事力のバランスが徐々に連合国軍に有利に傾く一方、ドイツは1917年にロシアに起こった社会主義革命をみて、自国における社会主義革命の可能性に深刻な危惧の念を抱くようになった。戦争はもはや指導者がコントロールできる政策の手段ではなく、支配者がもっとも恐れる革命をもたらしかねないという認識が広まり、1918年、ようやく戦争が終わるのです。 

 終戦後も戦勝国、とくに英仏の国民のドイツに対する怒りは収まらず、とうてい実現が不可能なほど苛酷な賠償金をドイツに要求します。戦争終結時の英仏の指導者はそれがドイツには払うことができない要求とわかっていても、民衆の怒りを抑えることができず、そうした無茶な賠償をドイツに請求せざるを得なかった。実際、第一次大戦の犠牲者の数はそれまでのヨーロッパでの戦争と比べて桁はずれでした。---

 こういう事実から、さすがの欧米列強も、戦争を外交と並ぶ国家政策の一手段とみなす発想から、とにかく戦争を否定する方向に向かおうとしました。その第一が国際連盟です。--- これは、すべての連盟加盟国がお互いに武力行使をしないことを約束して、その約束に反して戦争をおこなう国には、ほかのすべての加盟国が協力して制裁をするという集団的保障体制で、制裁の威嚇で戦争を抑止しようとするものです。

 第二は戦争の違法化。--- これで戦争が国際法上はじめて、原則として禁止されました。世界が戦争を違法なものにしようとして、国際法上画期的といってよい成果が出た。しかしその3年後に、日本が満州事変を起こしてしまったのです。

江川  戦争は違法化されたけれど、植民地支配は違法とされなかったのですか。

大沼  されませんでした。第一次大戦中、ソ連の初代最高指導者だったレーニンと米国のウィルソン大統領が、相次いで民族自決のスローガンを掲げました。各民族は他の民族や国家の干渉を受けずに自らの政治組織や帰属を決める権利をもつ、という考えです。

 ただ第一次大戦後、民族自決はヨーロッパにだけ適用されました。アジア、アフリカなど、膨大な非ヨーロッパの植民地に適用することは、戦勝国である英仏が絶対に認めようとしなかった。敗戦国ドイツとオーストリア=ハンガリーと、1918年に戦線から離脱したロシア(ソ連)の支配下にあった東欧・中欧の諸民族が民族自決の担い手となって独立を達成しました。一方、英仏植民地の人々はその恩恵にあずかれなかった。

 それでも、民族自決という理念は、アジアやアフリカの指導者の頭にしっかりと埋め込まれました。アジア、アフリカの指導者は、ヨーロッパの諸大学に留学して、そういう新しい時代の思想に触れて、それを自分の民族に持ち帰った。アジアでも、19世紀後半から起きていた民族独立運動は、20世紀前半に活潑化していきます。アジアの独立運動の指導者は、欧米だけでなく日本の大学にも留学して、民主主義、民族自決の理念に触れたのです。

 中国は独立国でしたが、清朝の皇帝は満州族で、中国人の大多数を占める漢民族にとっては異民族支配と受け取られるようになった。こうして、1911年には漢民族を中心とする辛亥革命が起こります。19世紀末から20世紀前半は、アジアの諸民族が民族自決に目覚め、植民地支配と戦い始めた時代でした。日本はちょうどそうした時代の流れに逆行して、帝国主義・植民地主義政策をとっていた欧米列強をモデルとして帝国主義的な政策を推し進め、台湾・朝鮮の植民地支配を始めてしまったのです。

江川  そんな時期の日本の対応には、どういう問題があったのでしょうか。

大沼  この時代は人種主義が猖獗を極めていた時代で、「黄色人種」日本への欧米の偏見は強かった。その時代に生きていたら、わたしも欧米への強い反潑心を抱いたと思う。そうしたなかで日本人は、欧米諸国に追いつこうと、涙ぐましいほどよく働いたといっていいでしょう。

 ただ、この時代の日本がとても残念だった点があります。ひとつは、時代の流れを読むことができなかったこと。弱肉強食の帝国主義の時代は、第一次大戦後の戦争の違法化と民族自決の潮流のなかで徐々に変わろうとしていた。帝国主義と植民地支配に反抗するアジア、アフリカの諸民族のナショナリズムは明らかに勃興しつつありました。時代は変わりつつあり、日本にも石橋湛山や新渡戸稲造など、そうした潮流を理解する人々はいたけれど、日本全体としては歴史の転換を認識することができなかった。

 もうひとつは、明治以来一貫する「脱亜入欧」(停滞した旧弊なアジアの一員であることをやめて、「進んだ」「強い」ヨーロッパの一員になろうという、日本の政策と意識)の一環としてのアジア、アフリカの人々への差別意識です。日本は、パリ講和会議の際に、国際連盟規約に人種差別撤廃条項を入れることを提案しています。この提案は米英、オーストラリアなどの強い反対で採用されませんでしたが、人種差別撤廃を求めたという事実自体は高く評価すべきでしょう。ただ、人種差別撤廃を提案した当の日本が、中国人への民族的偏見をもち、朝鮮を植民地支配し、南洋諸国の人々を「民度の低い土人」とみていた。石橋湛山は、人種差別撤廃の要求を強く支持しつつ、「吾輩は我国民の実際に行いつつある所を見て、忸怩として、之を口にし得ぬことを残念に堪えぬ」(『東洋経済新報』1919年2月15日号社説)といっていますが、これはまったくそのとおりというほかありません。

 第一次大戦までの日本は、文明国として認められるために、懸命に国際法を守ってきた。欧米列強の人種差別は明らかに正義に反するものであって、その撤廃を主張することは欧米諸国も正面から反対できなかったし、非欧米諸国はむろん支持するものでした。このとき、日本自身が自己の主張にかなった行動をとって、当時の人種差別的な国際秩序を変える努力を積み重ねていけば、日本は諸国から尊敬され、中国との泥沼のような戦争 ─── 個々の「戦闘ではいくら勝てても、中国全国民を相手とした「戦争」では決して勝てない ─── に陥ることもなかったかもしれない。

 しかし、日本は中国に対してとうてい受け入れることのできない対華二十一カ条という不当な要求をつきつけ、朝鮮では過酷な武断統治を進めた。この結果、日本が人種平等条項を連盟規約に挿入するよう各国を説いているまさにその時期に、朝鮮では日本の植民地支配に抵抗する3・1独立運動が起こり、その2ヵ月後には中国で欧米列強や日本の帝国主義政策を批判する5・4運動が起こった。皮肉というほかありません。

 加えて、日本の軍人教育が内向きになっていったことも問題でした。山本五十六のように世界を知っている軍人は例外であって、東条英機をはじめとするほとんどの高級軍人が国際社会のあり方、趨勢に無知でした。当時の日本は遅れてきた帝国であり、欧米列強となんとか張り合おうと、つま先立ちで無理に無理を重ねていました。日本は列強の一員としてアジアの盟主であろうとしましたが、欧米列強と張り合うことができる唯一の部分が軍事力なので、無理をしてそこに膨大な国家資源をつぎ込んだ。すると民生に資源を振り向けることができないので、経済はますます厳しくなっていって、1929年の世界大恐慌にも対応できなかった。

 社会が行き詰まるなかで神がかり的な精神主義が擡頭してきます。第二次大戦でも、とにかく精神力があれば勝てるという発想に行き着いてしまった。日本は天照大神以来、万世一系の天皇を仰ぐ選ばれた民族であり、そういう民族として敵の捕虜になるなどもってのほかである、潔く戦って散るべきであるという発想が、『戦陣訓』で「生きて虜囚の辱めを受けず」ということばに象徴されています。そうすると、捕虜というものは本来あり得ない、ということになり、敵の捕虜を大事にするなどということもおよそ考えない。捕虜の適切な処置を規定する戦時国際法を無視するようになる。---

 


 

 また、ここで切ります。

 時代を読めない、精神論がまかり通る、、、、、

 そんな世の中の流れを止められなかったことが、悔しい。

 この後悔を、決して無駄にはしたくありません。 


再び、漆の紅葉。

 わずか2日で、漆の紅葉が進みました。

 鮮やかな赤に近付きました。 見て下さい。

 再び、漆の紅葉。.jpg 


超常現象。

 今朝、不思議な光景が見られました。

 ベランダに干した洗濯物の間に、紅茶ポットが浮かんでいます。

 これです。

 超常現象。.jpg 

 世間では、こういうものを「超常現象」と呼ぶのではないでしょうか。 

 次に、氏神様の大銀杏の紅葉です。

 余りの見事さに、乗る電車を1本遅らせて写真を撮りました。

  銀杏の紅葉。.jpg 

 最後に、我が家の漆の木の紅葉です。今一つですが、見て下さい。

  我が家の漆。.jpg

 


「歴史認識」とは何か  大沼保昭著  中公新書 ①

--- 本書でわたしが成し遂げたいことは、すぐれたジャーナリストである江川紹子さんに聞き手の役を演じてもらうことによって、読者の方々に「歴史認識」にかかわる「見取り図」を示すことである。そして、本書の読者が、それまで自分がもっていた見取り図をすこしでも考え直し、自分と対立する考えをもつ人たちと見取り図を突き合わせるのを助けることである。

 これにはいくつかの作業が必要である。

 第一に、問題にかかわる基本的な事実を知っていただかなければならない。

 第二に、そうした事実の認識と解釈に ─── 日本国内でも、日本と外国との間でも、外国の国内でも ─── 大きな違いがあること、そしてその違いを生み出すさまざまな理由、根拠と原因があることを知っていただかなければならない。ある国の国民の常識が他国の国民の非常識というのは、国際社会ではよくあることである。日本国内においてさえ意見の極端な違いはあるし、反日一色で染まっているようにみえる韓国の国内にも、そうした「反日」を批判し、克服しようとする声はある。そういうことを知ってもらいたい。

 第三に、違いが出てくる背景や思考の枠組みを浮かび上がらせることにより、「歴史認識」をめぐって対立する考えの持ち主たちがなぜかくも異なる認識をもっているのかを、同意できないまでも、理解できる材料を提供したい。これが本書のねらいである。

 わたしの考えでは、「歴史認識」にかかわる諸問題が二十一世紀になっても激しく論議され、対立を生んでいる根本的な原因は、①戦争と植民地支配、そして人権というものへの国際社会全体の捉え方が二十世紀を通じて大きく変化した、②それに伴って、第二次世界大戦と朝鮮植民地支配について1970年代までにサンフランシスコ平和条約、日韓と日中の国交正常化などで法的に解決されたつもりだった問題が、80年代以降見直しを求められるようになった、③日本国民の間に、戦争と植民地支配の問題について反省をしつつも、「東京裁判=勝者の裁き」という見方に代表される諸外国の「不公平さ」への割り切れない思いが一貫して存在していた、④中国と韓国の人々が近現代史をみるうえで深い被害者意識を抱いており、その矛先が「加害者」日本に向けられやすい、といった点にある。---

 


 

 と、始まるこの本を貫いている姿勢は、「公正」「誠実」「丁寧」です。

 学者の姿勢として、これほどまでに「公正」「誠実」「丁寧」なものを読んだことがないと言っても良いのではないでしょうか。

 「事実の認識と解釈の違い」を、認識が偏ることのないように説明するためには、ここまで「公正」「誠実」「丁寧」に語る必要があると著者は考えています。

 著者の姿勢に、感服の思いで一杯になりながら読みました。

 第1章  東京裁判 ─── 国際社会の「裁き」と日本の受けとめ方

 第2章  サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の「正常化」 ─── 戦争と植民地支配の「後始末」

 第3章  戦争責任と戦後責任

 第4章   慰安婦問題と新たな状況  ─── 1990年代から二十一世紀 

 と、「公正」「誠実」「丁寧」な姿勢を貫く記述が続きます。

 記述は、本当に「公正」です。「誠実」です。「丁寧」です。

 これらを簡単に短くまとめてしまうことは、著者の一貫した姿勢に反することになってしまいます。

 という訳で、この本は、短くまとめることを止めにしました。

 ただ、最後の章 第5章は、「そうだったのか」と思ったことがいくつかありましたので、その部分を抜き出しておきます。これくらいは許していただけるでしょう。

 


 

第5章  二十一世紀世界と「歴史認識」 

        -------------------------------- 

大沼  ヨーロッパ諸国が世界のさまざまな地域に侵出して植民地化していった歴史は、15世紀に始まります。個人的な名誉欲と物欲、イスラーム教徒と対抗するための同盟者を求め、さらにキリスト教の布教という使命感をもった混成集団が、アフリカ、中南米、アジアへと出ていったわけです。ポルトガルの「航海王子」エンリケがアフリカ西岸への探検を援助し、1492年にクリストーバル・コロン(コロンブス)が「新大陸」を「発見」し、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが「インド航路」を「発見」する。スペイン、ポルトガルの両国が中南米諸国を植民地化し、強制労働や物質的な搾取がおこなわれた。---

 スペイン、ポルトガルに続いて、オランダ、英、仏、ベルギー、ドイツ、ロシア、さらに米国も世界各地を植民地化した。こうした国々には植民地支配が悪であるという観念はほとんどなかったし、そういう国々がつくり運用した国際法も、植民地支配を認め、むしろその道具として機能した。19世紀後半には、欧米の白人の間で、自分たちのすぐれた文明をアジアやアフリカの「未開」「野蛮な民族」にもたらす尊い義務がある、とい考えが流布します。「文明(化)の使命」「白人の義務」ということばが流行し、植民地支配はむしろ倫理的に正しいこと、聖なる責務とされました。

 日本が日清戦争に勝って台湾を植民地支配したのが1895年、李氏朝鮮に強い圧力を加え最終的に植民地化したのが1910年です。当時は、欧米列強もアフリカをはじめ世界各地を大々的に植民地化していた時代ですから、日本の行為が倫理的・法的に非難されることはなかった。このように、第一次大戦以前の国際法は植民地支配を違法なものとしておらず、欧米列強も日本も、植民地では人種的・民族的偏見にもとづく差別的な支配をおこなっていたわけです。

江川  世界的におこなわれたヨーロッパによる植民地支配のなかでも、アジアは他地域に比べ、植民地化が比較的遅かったわけでしょうか。

大沼  中南米とアフリカ、南太平洋の島嶼には、ヨーロッパの列強に対抗できる強大な国家組織がほとんどなかったのです。アメリカ大陸にはインカ帝国などはあったのですが、内戦や伝染病の蔓延などで弱体化し、比較的少数のスペインやポルトガルの軍事力によって支配されてしまった。他方アジアには、中国の明・清朝、インドのムガル帝国、トルコを中心とするオスマン帝国など、ヨーロッパの諸国よりはるかに強大な王朝国家が存在していた。そのため、ヨーロッパ列強は当初はこうした強大な王朝国家のルールに従って貿易をやらせてもらっていたのです。

 ところが、18世紀から19世紀には、ヨーロッパ列強とアジアの諸王朝との力関係が逆転する。オスマン帝国はかろうじて独立は保つけれど、17世紀にはヨーロッパ列強に従属する地位に転落し、ムガル帝国も19世紀には大英帝国に植民地化されてしまう。

 最後まで残った中国の清朝も衰退期にさしかかっており、英国とのアヘン戦争(1840~42年)以来ヨーロッパ列強との戦争に敗れ、19世紀末には完全に没落する。ちょうどその時期に日本は米国のペリーが率いた艦隊の圧力の下に「開国」し、欧化政策をとって、それまでの中国を中心とした東アジア文明圏から欧米中心の国際社会の体制に乗り換えます。そして、欧米列強をお手本として、台湾と朝鮮を植民地化するわけです。

 


 

 日本は、欧米列強をお手本として植民地獲得に乗り出していったのですね。

 何事も欧米列強に倣う。

 明治維新の頃の日本人は、欧米に追い付くことだけに必死だった。

 

 

 長くなりますので、一旦、ここで切ります。 


「トランプ」の日本版。

 遠縁の89歳の介護に、精神的に参っています。

 理由は、89歳の「傲慢」「尊大」「自己認識の肥大」等からくる暴言に、私の気持ちが逆撫でされ続けるからです。

 89歳は、女性の医者です。 

 この年齢の女性医師は、確かに数が少なかったでしょうから、プライドの高いことは理解出来ます。

 しかし、この人の「自己認識の肥大」は、病的と言っても良いのではないかと思えます。 

 どんな暴言がその口から発せられるかをここで書いてしまうと、特定の個人を誹謗中傷する内容を書いてしまうことになるので控えるしかないのですが、内容は、まさにトランプと同じです。

 「人種差別的発言」「階級差別丸出し」「人格否定」等々、よくもこんな発言が出るものと呆れ果てます。

 自分では、「私は毒舌だから」と言います。

 しかし、私には「毒舌」とは思えません。毒舌が含む「諧謔」の深みが全く感じられません。その場から離れた瞬間には私の悪口を言っている、ただの「井戸端会議的な悪口」でしかありません。

 病室に行っている間中、暴言を吐き続けます。

 私の気持ちは、ざわざわし続けます。ストレスが溜まります。

 ところが、不思議なことに、職場の元同僚(職種の異なる人たちばかりですが)が見舞いに来て下さいます。

 そして、口を揃えて、「素敵な人です。キラキラ輝いていました。元気を貰っていました」とおっしゃいます。 

 私は返答に困って、「???・・・・ 」。「こんな人のことを、そんな風に想って下さいまして、本当に有難うございます」と答えるしかありません。

 89歳は、自力では何も出来なくなった今も、コンパクトを手許に置いて、鏡で自分の顔をチェックし続ける程のお洒落人間です。

 身に付けるものは、超のつくブランド品ばかり。

 数ヵ月前、手術を受けた後の退院の日の服装は、何十万円もするジャケットとパンツを組み合わせ、首には大粒の真珠のネックレス、指には大きい宝石が埋まった指輪。シルクのストールを首から垂らして、黒い鍔広の帽子(美容院に行けなかったので頭部を隠すため)を斜めに被っていました。杖をつかなければ歩けない程体力が衰えてしまったので、健康な人間の3分の1歩ほどの歩みしか出来ないのに、自分の中のイメージでは「颯爽と」退院しました。

 「キラキラと輝く、元気を貰える」というのは、こういうところを指すのでしょうか。

 立場が違う、価値観が異なる、と、ここまで評価が違ってきます。

 一人の人間に対する評価が、ここまで異なります。 

 ① 89歳が見せる姿勢が、相手によって変わる。

 ② 89歳を見る目が、どういう価値観を持っているかによって異なってくる。

 原因はどちらにもあるかと思いますが、この現象は、私に「哲学的な思索」を促します。

 自分が思い描いている「自己像」と、他者が見る「自己像」は違うということですね。

 「こうでありたい 」「こういう自分であってほしい」「このように見られていたい」と考える自分と、「この人はこういう人だ」と他者が考える自分との間には、乖離がある。

 そういう事実に、改めて気付かせてくれる、89歳の姿です。

 それにしても、年を取るということは、厳しくて難しくて辛いことです。

 「明日は我が身」と思うと、本当に辛くなる介護です。 


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