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日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ⑥

第5章  「一群の人々」

--- 本章では重要人物に焦点を当てながら、「一群の人々」を浮き彫りにしていきたい。

 まず取り上げるのは、日本政策研究センター代表・伊藤哲夫。

 一般の人になじみのある人物ではないかもしれないが、第一次安倍政権発足以前から、安倍晋三の周りに常に付き従い、一部では「安倍政権の生みの親」とさえいわれる、重要人物だ。--- 

 日本政策研究センターは、『明日への選択』という月刊機関誌を発行している。この機関誌は、まるで安倍政権が提案する諸政策の代弁をしているかのような誌面構成をしている。---

--- 彼は、第一次安倍政権誕生前から、安倍晋三とべったりとくっつき、ことあるごとに彼をプロモートしてきた。---

--- 当選回数も少なく大臣経験もない「若造」の幹事長就任は、前代未聞といっていい。この大抜擢を行ったのは、時の総理総裁・小泉純一郎。小泉はこのとき、不文律として自民党の中で長年尊重されてきた「総幹分離原則」(一派閥への権力集中を防ぐため総裁職と幹事長職を同じ派閥から出さないという人事上の原則)を無視して安倍晋三を幹事長に抜擢している。まさに、小泉の代名詞ともいえる「サプライズ人事」の典型例だ。

 ある意味、安倍晋三は、「小選挙区制の申し子」といえなくもない。中選挙区制の時代であれば、いかに小泉に絶大な国民的人気があたとはいえ、党内の因習や権力バランスを無視し、当選回数の少ない若手議員を自派閥から幹事長に抜擢することは困難を極めたはずだ。--- 同時にこの異例の抜擢は、安倍の脆弱さも物語る。そして、この大抜擢のわずか2年後、小泉のあとを継ぎ、安倍は総理総裁まで上り詰める。が、いかんせん、2年である。自派閥の中にさえ、中川直秀や町村信孝など、安倍よりもはるかに当選回数も閣僚経験も豊富な人材がひしめいていた。派閥の領袖としてさえ権力基盤を構築しえないまま、安倍は総理総裁になったのだ。それまでの総理総裁と比べ、安倍の党内権力基盤は驚くほどに脆弱だ。日本会議や「生長の家原理主義者ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍の周囲に群がり、影響力を行使できるのも、この権力基盤の脆弱さに由来するのではないか。安倍は他の総理よりつけこみやすく、右翼団体の常套手段である「上部工作」が効きやすいのだ。--- 

 2015年8月2日、「第4回『明日への選択』首都圏セミナー」と題するセミナーが都内某所で開催された。---

 「セミナーはこの通りに進行しました」と、この参加者が提供してくれたレジュメには、「日本政策研究センター」が目指す憲法改正の内容と手順が克明に記載されていた。

 レジュメで示された「憲法改正のポイント」は大きく分けて以下の3つだ。

 1.緊急事態条項の追加

 非常事態に際し、「三権分立」「基本的人権」等の原則を一時無効化し、内閣総理大臣に一種の独裁権限を与えるというもの。

 2.家族保護条項の追加

 憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの。

 3.自衛隊の国軍化

 憲法9条を見直し、明確に戦力の保持を認めるというもの。

 ここで注目すべきは、「改正対象」の順番だろう。

 長年、改憲論議は「憲法9条」を中心に行われてきた。しかし日本政策研究センターが提示する憲法改正リストのトップは、緊急事態条項であり、憲法9条は一番最後に来ている。---

 そして、この考え方は、自民党内に設置された憲法改正推進本部の動きと一致する。---

 先に登場したセミナー参加者は「さらにその先があるのです。実をいうと、会場で驚くべき発言があったのです・・・・・・」と会場で見聞きした内容をさらに証言してくれた。---

 質疑応答になり、一人の男性が挙手し、「日本政策研究センターの優先順位はわかったし、緊急事態条項の追加などであれば合意も得やすいとは思う。しかし、我々は、もう何十年と、明治憲法復元のために運動してきたのだ。今日のこの内容の話を、周りの人間にどう説明すればよいのか?」と質問したというのだ。

 この質問に対する日本政策研究センターの回答は、「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」という趣旨だったという。---

 この「何十年と続いてきた運動」とそれを支える「我々」こそが、「日本政策研究センター」と「日本会議」をつなぐポイントだ。---

 これまでも何度か触れたように、今現在の「生長の家」教団は政治運動から完全に撤退している。撤退以前の 「生長の家」政治運動は、政界内外で大規模に展開されており、玉置和郎、村上正邦という当時の自民党総裁選にも影響を及ぼす有力な国会議員を擁するまでに至っていた。しかし、「生長の家」はその政治運動の絶頂期に突如「生長の家政治連合」ならびに「生長の家政治連合地方議員連盟」の活動を停止する。---これまで「生長の家」の動員力に頼っていた各種運動は突如の撤退宣言により大混乱に陥ったという。

 時系列としては、「伊藤哲夫は『生長の家』が政治運動から撤退したことを契機に『日本政策研究センター』を設立した」とも見えなくもない。もしそうであれば、伊藤哲夫は1984年以前に「生長の家」政治運動に深く関わっていたはずだ。---

 『理想世界』昭和51年(1976年)11月号に、伊藤はいた。---

 鼎談の相手は、生長の家青年会の会長・森田征史と副会長・安東巌。当時の伊藤哲夫の肩書は、「中央教育宣伝部長」だったらしい。---

 やはり伊藤哲夫は、「生長の家」教団が1983年10月に突如として政治活動を停止したため、教団での立ち位置を失い、一本独鈷として活動するために、やむなく「日本政策研究センター」を立ち上げたと考えるのが自然だろう。

 日本政策研究センターの設立から31年。今や伊藤哲夫は安倍首相の筆頭ブレーンと言われるまでの存在になった。言い換えれば、「安倍首相の筆頭ブレーンは『生長の家』の元幹部」ということでもある。

 2人目の重要人物に話を移そう。

 安保法制審議が山場を迎えていた2015年6月10日。---

 衆院平和安全法制委員会における質疑で、民主党議員・辻元清美から「(集団的自衛権を合憲とする憲法学者が)こーんなにいる、と示せなければ、法案は撤回した方がいい」と指摘された官房長官・菅義偉は

 長尾一紘・中央大名誉教授

 百地章・日本大教授

 西修・駒澤大名誉教授

の3名を「集団的自衛権を合憲とする憲法学者の具体名」として挙げた。

---このニュースが流れた当時、大方の反応は、「あれだけ『たくさんいる』と豪語していたのに、たった3名とは・・・・・・」というものであった。

 だが、問題は、数ではない。その顔ぶれだ。

 すでに述べたように、日本会議はそのフロント団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を通じて、目下、1000万筆を目指して全国的な署名活動を展開している。---

 また、もう一つのフロント団体「『二十一世紀の日本と憲法 』有識者懇談会」(民間憲法臨調)を通じては、各界の識者や政治家を招聘して、「憲法フォーラム」と題するパネルディスカッションを全国各地で展開するなど、地味ながらも地に足をつけた運動を展開中だ。---

--- 菅官房長官が挙げた3名の憲法学者 ─── 中央大名誉教授・長尾一紘、日本大教授・百地章、駒沢大名誉教授・西修 ─── は、皆、この2団体の役員なのだ。---

 百地章が静岡大学を卒業したのが1969年。ちょうど東京では、長崎大学の椛島有三(現・日本会議事務総長)を中心として「全国学協」が結成された頃だ。

 全国学協は「生長の家」の学生信徒の運動を軸として「民族派学生の全共闘」を目指して結成されたもので、あくまでも運動目標は「左翼・セクト学生運動との闘争」にあった。そのため民族派学生運動のなかから「闘争一本やりではなく、サークル団体として学生たちに文化的な活動を通じて思想教育をする運動体が必要だ」との機運が高まる。その結果生まれたのが、「全日本学生文化会議」だ。--- 結成大会が開かれたのは1969年11月。この結成大会の実行委員長を務めたのが、静岡大学を卒業し京都大学修士課程に進んだ直後の百地章だ。---

 その後、「全国学協」をはじめとする民族派学生運動は、左翼学生運動の終焉にともない下火になる。だが、「全国学協」の社会人組織として椛島有三が作った「日本青年協議会」と、百地章が結成大会の実行委員長を務めた「全日本学生文化会議」はその後も運動を展開し、ついには巨大組織・日本会議の事務局を担う運動体となった。---

--- 前述のように、百地章のみならず、長尾一紘と西修も、日本会議フロント団体の役員という特殊な背景を持つ。--- 

 言うまでもなく、集団的自衛権は、日本の将来を左右する重大な課題だ。このような課題を議論するにあたって、特殊な政治意図をもった特殊な人々の主張に依拠することが、果たして許されるのだろうか。---

 そして3人目。

 2015年11月5日、毎日新聞が「記憶遺産意見書:日本、『南京』否定派を引用」と題して、政府がユネスコに提出した、中国による南京事件の記憶遺産登録に反対する意見書の内容について、疑義が挟まれていることを報じた。 

 記事によると、この意見書を作成したのは明星大学教授の高橋史郎。高橋はこの意見書で、南京事件の発生そのものを否定する論調で知られる亜細亜大学教授の東中野修道の著作から一部を引用し、中国側が提出した写真に対し「関連性が疑われる」と反論を行ったという。さらに記事では外務省関係者による「高橋教授は保守派の中ではバランスの取れた研究者だ」というコメントが添えられ、あくまでもこの意見書を堅持しようとする政府サイドの姿勢が描かれている。---

--- この写真に写っている人物は

 日本青年協議会(日青協)会長兼日本会議事務局長 椛島有三

 安倍総理大臣の首相補佐官 衛藤晟一

 安保法制のイデオローグ 百地章

 日青協の経済界窓口 森藤左ヱ門

 そして、本節の主役、高橋史郎、だ。

--- つまり、高橋史郎は、「日本会議と親密」どころか、「日本会議の推進母体」たる「日本青年協議会」の幹部だったのだ。---

--- 今や高橋は、外務省が「バランスの取れた研究者だ」と評価するまでの存在になった。

 だが、本稿で振り返った高橋の来歴を見て、果たして彼を「バランスの取れた研究者」と評価できるだろうか?

 高橋が「生長の家」の信徒であることは措くとしても、彼が「日本会議」の運営母体である「日本青年協議会」の幹部だという事実は揺るがない。つまり、右翼団体の幹部であり、かつまた正規の歴史学の教育を受けたことのない人物を、外務省は「バランスの取れた研究者」と評価していることになる。

 これは、どう考えてもおかしい。---

 本書のメインターゲットの一つ「日本会議」を支える「日本青年協議会」は、「生長の家」の学生運動からスタートしたものだ。--- さらに、「安倍晋三の筆頭ブレーン」と呼ばれる伊藤哲夫も、「生長の家政治運動」と切っても切れない関係にあるということも解説した。

 こうした事実からは、安倍政権が「生長の家」政治運動の関係者という「インナーサークル」の強い影響下にあるという、由々しき事態が見えてくる。---

 ここで、本書の問題意識について改めて触れておこう。

「安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、『社会全体の右傾化』によってもたらされたものではなく、実は、ごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた『市民運動』 の結実なのではないか?」---

 今や「安倍後継の最有力候補」との異名を持つまでになった自民党政調会長の稲田朋美が出演する「ダイジェスト 第6回東京靖国一日見真会」という動画のキャプチャ画像だ。

 この写真で稲田朋美が掲げている書籍は、生長の家の経典、『生命の實相』。---

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 政府が「集団的自衛権は合憲である」と主張する際には、百地章のコメントが必ず引用されていた。つまり、2015年の夏、官邸側のイデオローグのような立場にいた百地章は、『谷口雅春先生を学ぶ』創刊号の編集人だった。そして、「谷口雅春先生を学ぶ会」の会合で、稲田朋美は「祖母から受け継いだ」という「生長の家」の根本経典である『生命の實相』を振りかざしながら講演している。

「官邸側のイデオローグ」百地章と「安倍後継の最有力候補」稲田朋美は、「生長の家原理主義運動」という同じ志を持つインナーサークルに属するわけだ。---

--- 「一群の人々」の運動は結果として、「軍歌を歌う幼稚園」や「路上で猖獗を極めるヘイトデモ」に結びついた。そして今、「一群の人々」の運動は、そうした影響力を行使しつつ、彼らの悲願「改憲」に王手をかけている。

 


 

 何やら、ギラギラした情念と野心を偏った信念に注ぎ込み、権力を手に入れて自分たちに都合のよい世界を作りあげようとする人間が暗躍する「古代ドラマ」を観ているような気分になってきました。

 それが創られたドラマではなく、現実の、今の日本の政治の現場であることが、何とも怖ろしく思えます。

 それを、ただ、見ているだけの私たちということになっています。 


日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ⑤

第4章  草の根

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 2015年11月10日、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、「今こそ憲法改正を! 武道館1万人大会」と称する集会を開催した。---

 会場に向かう経路で、最初に出くわしたのはこの両名。

---村田春樹。在特会の草創期に幹部を務めた人物だ。今は、在特会とは距離を置いている。しかしこの村田春樹、「グレンデール慰安婦像」で活発に活動する元在特会事務局長・山本優美子と同じく、「日本会議界隈に拾い上げられた在特会関係者」の筆頭だ。彼は椛島有三とともに同じイベントで講演したこともある。

---葛目浩一。関西の「行動する保守」界隈では新聞『アイデンティティ』の発行人として知られる。---また、葛目浩一は、生長の家関連団体での活動も確認されていることにも留意が必要だろう。---

 この「改憲1万人大会」に向けては、日本会議に所属する各組織からの動員がかけられている。動員の実施は当然の話であって驚くべきことでも揶揄することでもない。だが、その整然たる様は目をみはるものがあった。--- 誘導員の圧倒的多数はガードマンでもイベント会社の人物でもない。スーツを着た日本会議関係者だ。日本会議およびその周辺の人脈は、これまでたびたび武道館を会場に各種の「1万人大会」を開催してきた。そのたびにノウハウを蓄積してきたのだろう。実に慣れていて無駄がない。---

---一般参加者がほぼいないことは笑うべきことではない。--- 一般参加者がほぼいなくとも、1万人を若干超える計算になる。果たして、大会の中で発表された参加者数は、1万1300人だ。

 つまり、今回の日本会議による「今こそ憲法改正を! 武道館1万人大会」は、決して、「1万人しか来なかった」集会とはいえないのだ。「1万人集める」と公言し、その数をきっちり公言通りに叩き出した集会というべきなのだ。--- なんたるマネジメント能力! 容易に想像がつくように、この能力は、選挙においても発揮される。---

 これほど、政治家にとって魅力的なこともあるまい。確固たる固定票は得体の知れぬ「時代の風」や「無党派」なるものよりよほど頼りになる。---

 大会の開催中、日本会議事務総長・日本青年協議会会長の椛島有三は、終始、満足そうな顔で観客席を見つめていた。

 椛島は、宿願の達成を確信したにちがいない。---

 司会挨拶の後、国歌斉唱に進む。2時間ほどの大会の中で、この国歌斉唱は「会場全体の一体感」が生まれた数少ない瞬間の一つだった。適切な言葉でないかもしれぬが、「グルーブ感」さえある。

 この「国歌斉唱におけるグルーブ感の発生」こそが、日本会議を理解するカギの一つだ。一口に「保守系」といっても、動員対象となった各教団は、それぞれ掲げる政策目標も運動への温度感も違う。--- そんな多種多様な人々が「なんとなく保守っぽい」という極めて曖昧な共通項だけでゆるやかに同居しているのが「日本会議」だともいえる。そして「国歌斉唱」は「なんとなく保守っぽい」だけで集まる人々を束ねる数少ない要素の一つなのだ。

 国歌斉唱の他に、会場の一体感が生まれた瞬間があと2つある。 

 「日本国憲法を作った国・アメリカの出身です」と自己紹介したケント・ギルバートが「(9条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」と発言した瞬間と、当日予告編が初上映された改憲プロパガンダ映画のプロデューサーだという百田尚樹が「(日本人の目をくらますのは)朝日新聞、あ、言ってしまった」と発言した瞬間だ。---

---ここで会場の一体感が生まれたことは注目に値する。

 ケント・ギルバートの発言も、百田尚樹の発言も「9条遵守派」や「朝日新聞」という「なんとなくリベラルっぽい」とされるものを揶揄の対象としている。そしてその発言の瞬間にこそ、国歌斉唱のときと同じ、一体感が生まれた。利害関係の大幅に異なる各教団や団体の連帯感を生むものは、この「国家斉唱」と「リベラル揶揄」しかないのだ。---

 日本会議事務方が行っているのは、「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」という極めて幼稚な糾合点を軸に「なんとなく保守っぽい」有象無象の各種教団・各種団体を取りまとめ、「数」として顕在化させ、その数を見事にコントロールする管理能力を誇示し、政治に対する圧力に変えていく作業なのだ。

 個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲への道へ突き進ませているものの正体なのだろう。---

 不思議なことに、日本会議の改憲運動本部でありこの大会の主催者である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、独自の憲法案を発表したことはない。彼らの言う「美しい日本の憲法」とはいかなるものか、一切、語られたことはない。---

 しかし、今回、櫻井の口から改正の方向性と若干具体的な内容が初めて語られた。---

---彼女が具体的に名前を挙げたのは、

 ●緊急事態条項

 ●家族 

 の2点のみ。---

---この大会が開催された2015年11月10日、「改憲の具体的内容」として「緊急事態条項」を挙げた人物がもう一人いる。しかもその発言は、改憲大会で発せられたのではない。

 安倍晋三も10日午前(つまり大会の直前)に、衆院予算委員会で「緊急事態条項」を改憲の具体的項目として挙げているのだ。

 安倍の発言も櫻井の発言も、「日本政策研究センター」の改憲プラン通りということになる。安倍はこの大会に寄せるビデオメッセージを大会に先立つ5日前に収録している。両者の間に何らかの協議があったことは明白だ。決して、偶然の一致とはいえまい。---

 「改憲1万人集会」では会場には白髪が目立った。実際に、日本会議やその周辺が開催するイベントの参加者は高齢者が多い。---

 だが、スタッフは若い。

 なかにはどう見ても大学生にしか思えない若い男女もいる。---

 既に書いたように、日本会議の本部は日本青年協議会と同じビルのフロアに入居している。また、日本青年協議会の会長である椛島有三は、日本会議の事務総長だ。これらの事実に立脚して「日本青年協議会こそが日本会議のコアであり推進母体である」と指摘してきたが、スタッフも日本青年協議会から出ているとなると、「運動体としての日本会議は日本青年協議会が取り仕切っている 」と言い切ってもいいだろう。---

 


 

 日本会議の周辺に集まっている人たちは、確たる思想を持った人間たちの集団とは言えないようです。 

 

 


日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ④

第3章  憲法

 今まで度々登場した「日本会議の源流を作った男」椛島有三と、彼が率いる日本青年協議会。---

 目下、彼らの活動の焦点は「改憲」にある。---

 「憲法の時間です!」は『祖国と青年』名物の漫画コーナー。--- 漫画コーナーなので、通例では巻末に掲載されることが多い。だが、この4月号は違った。

 巻頭特集「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の年次総会報告記事のすぐ後、基調演説を行う櫻井よしこの大写しの写真が掲載されている次のページから、4月号の「憲法の時間です!」は始まっている。--- 実にくだらない。よく2015年にもなって、こんな陳腐な「ヤマト」パロディを恥ずかしげもなく描けたものだと思う。こんなもの誰が読むんだ。と、一笑に付そうとしたとき、最終コマに書かれた文字で、戦慄を覚えた。

 「憲法改正まであと四百八十日 ━━━━ 」

 これは、日本青年協議会による、「改憲へのカウントダウン」ではないのか・・・・・。 

 奥付によると『祖国と青年』2015年4月号の発売日は4月1日。2015年4月1日から480日といえば、2016年7月25日。参議院議員任期満了の日だ。この日までに参院選は実施され、新しい参議院議員が就任する。

 2016年の参院選が改憲の天王山になるという点は、大方の見方と一致する所だ。---

 前章でも触れたように、日本青年協議会は、「日本を守る会」の事務局であった40年前から今現在に至るまで、手堅い運動手法で自分たちの運動目標を着実に政策化し続けている。彼らが取り組んだ運動のほぼ全てが、立法化あるいは政令化され、現実のものになっている。その彼らが、「改憲」という最終目標にむけ、2015年4月の段階で明確にカウントダウンを始めていたのだ。---

 なぜ安倍政権は憲法を蹂躙し、立憲主義を踏みにじるのか?

 それを読み解く鍵はやはり日本会議であり、その中核である日本青年協議会にある。---

 日本青年協議会は、全国学協の社会人組織として発足しながらも、発足直後の1973年に全国学協から除名処分を受ける。学生組織の後ろ盾を失った日本青年協議会は、自前の学生運動組織を結成する必要に迫られた。そのために結成されたのが「反憲法学生委員会全国連合」、略称、「反憲学連」だ。

 「反憲法学生委員会全国連合」の名前が指し示す通り、民族派といえども彼らの狙いは、「改憲」ではない。あくまでも「反憲法」にこそある。

 「反憲法」とは、つまるところ、「現行憲法を徹底的に否定する」というテーゼ。---

--- 見逃せないのが、日本会議と最高裁元長官のつながりだ。---「元号法制化実現国民会議」。この団体はのちに、「日本を守る国民会議」と名称を変更し、日本会議の前身の一つとなる。その設立に並々ならぬ情熱を燃やし、初代会長に就任したのは、最高裁長官を退官したばかりの石田和外だった。また、2001年から2015年まで、14年間もの長きにわたって、日本会議会長を務めていたのは、元最高裁長官の三好達。--- このままいけば、今回の大法廷を代表した寺田逸郎長官が、退官後に日本会議の会長職に収まるのも不自然だとは思えないほどの勢いだ。

 


 

 最高裁長官が退官後、日本会議の会長職に就く。

 空恐ろしいことではありませんか。 


日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ③

第2章  歴史

 日本会議には多くの宗教団体が参加している。しかしそれは決して「カルトによる支配」でも「宗教右翼の陰謀」でもない。日本会議について知るためには、そうした幼稚で拙速な陰謀論的総括と誤解を排す必要がある。そうした認識を捨てたうえで、まずは、日本会議が辿ってきた歴史を振り返ってみよう。

--- 日本会議が公開している設立当初の文書を見ていこう。設立経緯を説明する「設立趣意書」は、

 我々「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」は、設立以来20有余年にわたり、戦後失われようとしている健全な国民精神を恢弘し、うるわしい歴史と伝統にもとづく国づくりのため相提携して広汎な国民運動を展開してきた。

  との書き出しで始まる。

--- この2団体のうち設立が早かったのは「日本を守る会」で、1974年のことだ。一方の「日本を守る国民会議」は、後述する元号法制化運動に際し、1978年に組織された「元号法制化国民会議」を前身として1978年に設立された。「日本を守る会」の出発から考えると日本会議の活動歴は、実に40年の長きにわたることになる。---

--- 「日本を守る会」は、地方議会での意見書採択運動の展開・全国各地での元号法採択要求デモの実施・各界著名人を招聘しての元号法シンポジウムの開催といった運動を大々的に展開し、政府与党への圧力を強め、その結果、運動開始後わずか2年で、元号法の立法という成果を獲得した。

 数々の保守系団体が長年かけても成功しなかった元号法制化を、「日本を守る会」がわずか数年で達成したことは、保守陣営に衝撃を与えた。この後、神社本庁や遺族会などの旧来の保守団体が「日本を守る会」の周囲に集まり、連帯を強め、運動手法を取り入れるようになっていく。

 元号法制定運動で40年前に鮮やかなデビューを飾った「日本を守る会」。それが、現在、我々が対峙する「日本会議」の源流だ。

 元号法制定運動を推進した「日本を守る会」の発起人は鎌倉円覚寺管長・朝比奈宗源。彼があるとき伊勢神宮に参拝し「世界の平和も大事だが今の日本のことをしっかりやらないといけない」と「天の啓示」を受けたのだという。このような宗教的な経験がきっかけであるため、「日本を守る会」はあくまでも宗教者と文化人の集まりとして政治家や経済人は入会させなかった。---

 一方で、今の日本会議の役員名簿からは消えている団体がある。

「生長の家」だ。

 そもそも、生長の家は、谷口雅治が1930年に創設した強烈な反共意識にもとづく右派的な教義を説く宗教団体であった。しかし、現在の「生長の家」は「エコロジー左翼」とでもいうべき路線を採用しており、日本会議とは基本的には一切の人的交流はない。 

 しかし、当時は違った。

 「生長の家」の創始者・谷口雅治は、戦後、公職追放となった。しかし、公職追放が解けた直後から「明治憲法復活」「占領体制打破」をスローガンの積極的な言論活動を展開しており「愛国宗教家」の異名を持つほどであった。また、強烈な反共意識と、折から勃興する創価学会への警戒心にもとづき、積極的な社会運動を60年安保の頃から展開してもいた。---

「生長の家」信者の子弟からなる「生長の家学生会全国総連合」(生学連)が結成されたのは1966年。ちょうど、左翼側では「ブント」が再興されたり、三派全学連が羽田闘争を開始したりと、後年「70年安保」や「全共闘運動」などと呼ばれる左翼学生運動の下地が整い出した頃だ。

 左翼学生運動は拡大を続け、全共闘運動は全国各地に波及し、各地の大学でバリケードによるキャンパス封鎖や各種左翼セクトによる自治会占拠などが相次ぐようになる。右翼学生は各地の大学にいたものの、質・量ともに太刀打ちできない。

 そんななか、日本社会主義青年同盟(社青同)を中心とする左翼学生が占拠し、授業中断が続いていた長崎大学を「正常化」することに生長の家信徒たちが成功する。

 「長崎大学で、右翼学生が、左翼学生からキャンパスを解放した」というニュースは全国の大学で圧倒的劣勢に立つ右翼学生運動の希望の星となった。--- 長崎大学での成功と実績をもとに「生長の家学生会」「原理研」「日学同」など民族派学生セクトが大同団結し、「民族派の全学連」を目指し、「全国学生自治連絡協議会」(全国学協)が1969年に結成される。

 しかし、「全国学協」の結成は、いささか遅きに失した。

 ノンポリの学生をも惹きつけ全国各地に飛び火した全共闘運動を代表とする左翼学生運動は、すでに安田講堂事件や日大闘争を境に下火になりつつあった。

 運動の主軸が「左翼学生運動への対抗」でしかない民族派学生運動としては、目標を失ってしまった格好だ。左翼学生運動という敵を失った彼らはご多分に洩れず内ゲバに走るようになる。

 「日本を守る会」が結成され元号法制定運動に取り組みだした1974年は、ちょうど、目標を失った民族派学生運動の迷走がピークを迎えた頃に重なる。

 この頃「日本を守る会」の事務局を取り仕切っていたのが村上正邦だ。

 後年「参院の法王」とまで呼ばれるようになる彼だが、当時は「生長の家」の組織候補として自民党から1974年の参院選挙に初出馬するも落選した直後ということもあり、生長の家を代表して「日本を守る会」の事務局の中心メンバーとして活動していた。--- 「全国学協」の前身は長崎大学で左翼学生のバリケードを解除し「学園正常化」を勝ち取った「生長の家」学生信徒グループだ。--- 生長の家の信者として「日本を守る会」の事務を取り仕切る村上正邦にとっては、同じ宗教の信者同士。なによりも、日本青年協議会を率いる人々は、長崎大学正常化運動を勝ち抜いた闘士であり、民族派学生運動のヒーロー。長年学生運動の現場で左翼学生運動と対峙し、左翼の運動手法も組織の動かし方も熟知している。これほどの適任者はいないだろう。

 かくて、1977年、日本青年協議会は、「日本を守る会」の事務局に入る。

 実質的に事務を取り仕切ったのは、日本青年協議会書記長・椛島有三。---

 椛島の率いる日本会議が、どのように政治に圧力を加えているのか。その格好の事例が、2015年春、観察された。

 2015年は戦後70年であり、安倍政権は「戦後70年安倍談話」を出すに際し、2月には有識者会議を設置した。この有識者会議の座長代理である北岡伸一(国際大学学長)は3月9日の段階で、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と言明していた。にもかかわらず、北岡は、4月10日に突然、「『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はない」と、全く逆の考えを示すに至った。

 この間、わずか1か月。---

 いったい、北岡伸一になにがあったのか? ---

 1994年6月に発足した村山内閣は、発足直後に、「日米安保反対」「日の丸君が代反対」「自衛隊は違憲」という従来の社会党の党是を連立維持のために放棄し、「日米安保も日の丸君が代も自衛隊も全部容認」と180度の路線変更を表明する。当然のことながら、社会党を支え続けてきた労働組合などは、この路線変更に反発した。--- 

 支持基盤から愛想をつかされつつある社会党として、是が非でも実現しなければいけなかったのが、連立結成時に自民党と合意した「あの戦争は侵略戦争であった」と認める「戦後50年決議」の採択だ。しかし今度は自民党の内部から反発が出る。自民党内には「あの戦争は侵略戦争ではない」という意見が根強い。

 この反対意見を後押ししたのが、ほかならぬ、椛島有三率いる「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」だった。---

 かくて、社会党を支える護憲派市民団体 対  自民党を支える保守市民団体の様相を呈しつつ、「50年決議」が採択される予定の国会が開かれた。

 当時の参院自民党の幹事長は村上正邦。---

 当然のことながら、村上正邦は、「戦後50年不戦決議」反対派の急先鋒となる。---

 1995年6月6日。---

 自民党政調会長・加藤紘一や自治大臣・野中広務が中心となり、自民党執行部が進める文案作成作業は、社会党の「侵略戦争である」という見解を受けいれる形で進められていた。当然、これまで大規模な反対運動を展開してきた日本青年協議会のメンバーたちは受け入れることができない。---

 だが、この取引は加藤紘一と野中広務のコンビのほうが一枚上手であった。---

 ●村上正邦に伝えられた口頭発表文案の内容

 「また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行った行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。」

 ●正式文案として書面発表された内容

 「また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。」 

 自民党執行部は、村上正邦に伝えた口頭発表案に、「こうした」の4文字を加えることにより、「植民地支配」「侵略行為」の行為主体にも「我が国」が含まれると明記することに成功する。---

 この「詐術」を知った椛島有三や中川八洋は当然のごとく激怒した。---メンツを失った村上は、椛島有三たちに、「衆院で可決させるが参院では絶対否決させる」と約束し、どうにかこうにか彼らの怒りを鎮めた。

 このような経緯で、村上内閣時の「戦後50年決議」は、衆院可決/不採択という国会決議としては異例の結末を迎えたのだ。---

 注目すべきは、国会決議の文案作成の現場である参院自民党幹事長室を日本青年協議会のメンバーが占拠し、「参院の法王」とも呼ばれつつあった当時の参院最高権力者・村上正邦をも恫喝して、圧力を加えていたという点だろう。---

 本書が進むにつれ明らかにするように、現在の安倍政権の周囲には、「首相補佐官」「秘書」「有識者会議のメンバー」の形で、日本青年協議会のメンバーが多数存在している。そしてその顔ぶれは20年前に村上正邦を恫喝し、自民党に圧力をかけたメンバーとほぼ同じ「一群れの人々」だ。

 そんな状況下で、「安倍首相には戦略戦争であったと言ってほしい」と述べた北岡伸一。

 彼の周囲にひしめく「20年前と同じ顔ぶれ」とそうした面々の謝罪談話阻止にかける異常なまでの執念を考え合わせると、彼が相当の圧力 ─── 「参院の法王」にさえ「ネクタイを摑んで」「怒鳴り散らす」ほどの圧力 ─── を受けたであろうことは想像に難くない。---

 そして、ようやく迎えた戦後70年。

 発表された「安倍談話」は、前述の通り「謝罪も反省も侵略も植民地も、誰が主体なのか全く明確でない」のが特徴だ。

 もう、言うまでもないであろう。この「誰が主体であるか全く明確でない」 言い回しこそ、20年前、彼らが求めていた文案の方向性そのものではないか。---

--- 時計の針を戻したものは、「一群れの人々」である可能性が極めて高い。

 

          ------------------------------------------------

 日本会議は、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の2団体が合併して設立された団体であり、両団体の設立にあたって椛島有三率いる「日本青年協議会」が事務局として参画し、学生運動出身という来歴を生かしつつ、戦後の保守運動に新風を吹き込んだことは、元号法制定運動を振り返るかたちですでに述べた。

 一方、元号法制定運動の華々しい成功とほぼ同時期に手痛い失敗を経験した保守運動がある。

 それが、「靖国神社国家護持法制定運動」だ 。

--- いかに憲法や政令で神社と国家の結びつきが否定されたとはいえ、靖国神社自身が靖国神社の自身の行為として神道にのっとり、戦没者を慰霊することには変わりがない。また、敗戦直後の国民、とりわけ戦没者の遺族にとっては、靖国神社こそが公的な異例の場であるという認識に変わりがなかった。そこで、靖国神社や遺族たちは、いまいちど国家と靖国神社の結びつきを構築しようと、国に対し「靖国神社国家護持法」の制定を求める運動を開始する。--- 一説によると1970年までの20年間に集められた署名の累計は、1200万人に上るという。

 これほど大量の署名を集める運動を展開しながらも、靖国神社国家護持法案は国会提出にさえこぎつけない状態が続いた。原因は、意外にも宗教界からの反発だ。---

 神社本庁・靖国神社そして遺族会からの要請と、宗教界からの反対意見の板挟みになるなか、自民党は、靖国神社創立100周年にあたる1969年、ついに「靖国神社国家護持法案」を国会に提出する。---

 ところがなんと今度は、当の靖国神社と神社本庁が自民党案に反対を表明したのである。儀式から宗教色がなくなり法人格も宗教法人でなくなるのであればなんの意味もないというのが、彼らを法案反対に回らせた理由だ。

--- これまで各種宗教団体が主な担い手だった反対運動に、「狙いは政教一致の再現だ」と気づいた左翼勢力も加わり、激しさが増してゆく。---

 かくて、自民党が国会に提出した「靖国神社国家護持法案」は賛成陣営反対陣営の両方に亀裂を生み、廃案につぐ廃案を重ねることになる。ついには、1973年を最後に法案提出さえされなくなってしまった。

 この失敗に懲りた神社本庁・靖国神社および日本遺族会は、法案提出を諦め、1976年に「英霊にこたえる会」を結成し、運動方針を「首相や閣僚による公式参拝実施」に切り替えていく。---

 「靖国神社問題」の端緒は、「政治と宗教」であり「歴史認識」や「諸外国からの反発」ではない。そしてその「政治と宗教」の問題の最前線における大失敗と禍根が、日本会議の源流の一つだ。その点を踏まえると、日本会議にとっては、A級戦犯合祀の是非という「歴史認識」より、いかにして宗教性を保ったまま靖国神社で慰霊行事を行うかという「政治と宗教」の問題こそ重要なポイントだと言えまいか。

 日本会議にとって、靖国神社は「政治と宗教」問題の最前線である。

 と、考えれば、衛藤晟一や有村治子などの日本会議系議員たちが見せる靖国神社参拝への〝情熱”も理解できよう。 

 


 

 どうでしょう。

 これらを読んでも、安倍政権に日本の将来を任せたいと考える人はいるでしょうか。

 聞いてみたいです。 

 

 

 


日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ②

第1章  日本会議とは何か

 2015年2月4日。船田元(自民党憲法改正推進本部長・当時)は、安倍首相との会談の後、記者団に「憲法改正案原案の提示は2016年夏の参院選前ではなく、選挙後になる」という見通しを語った。

---「改憲の是非」ではなく「いつ改憲を行うか」が議論の軸となっているのは、なにも自民党内に限った話ではない。

 2014年10月、「平成28年7月に実施される予定の参議院選挙で、『憲法改正国民投票』 の実現と、過半数の賛成による憲法改正の成立をめざし、1000万人の賛同者を集めること」を運動目標とする「美しい日本の憲法をつくる国民の会」なる団体が旗揚げされた。

 同年10月1日に開催されたこの団体の設立総会に出席した衛藤晟一(首相補佐官)は、来賓挨拶で、「1993年に初めて自民党が政権を失ったとき(註:細川内閣成立をさす)、自民党内では党の綱領から自主憲法制定を外すべきではないかとの議論がなされたが、当時初当選だった安倍首相や我々やが『憲法改正を下ろすなら自民党なんていうのはやめるべきだ』と反対した。いまそのメンバーが中心となって第二次安倍内閣を作った。安倍内閣は憲法改正の最終目標のために、みんなの力を得て成立させた」と、述べている。(美しい日本の憲法をつくる国民の会2014)

 この「みんな」とは誰なのだろう?

 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のWebサイトを見てみよう。

 トップページをスクロールすると、まっさきに出てくるのが、3名の共同代表の顔写真だ。櫻井よしこ(ジャーナリスト)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、三好達(元最高裁判所長官)という、おなじみの顔ぶれ。--- 役員名簿を見ると、事務局長を務めるのが、日本会議の事務総長である椛島有三であるのをはじめ、役員のほとんどが、日本会議の役員と重複する。この役員名簿の重複をみればわかるように、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、「新しい時代にふさわしい新憲法」の制定を運動目標とする日本会議が、一般市民1000万人の賛同者を集めるために作った、別働団体なのだ。事実、10月1日の設立総会には多数の日本会議会員が参加していた。つまり、衛藤は、いならぶ日本会議の会員たちに「安倍内閣は我々みんなの力で作った」とエールを送ったのだ。

 衛藤晟一が、「みんなで作った安倍内閣」と日本会議の功績を讃えるのも無理はない。「日本会議国会議員懇談会」に所属する国会議員が第三次安倍内閣の全閣僚19名に占める割合は、8割を超えていた。

--- 公明党出身の閣僚以外はほぼ全員が、日本会議国会議員懇談会に所属しているのが、第三次安倍内閣の特徴だ。もはや、安倍内閣は、「日本会議のお仲間内閣」といっても過言ではないだろう。 

 このように日本会議は、今や、内閣のほぼ全ての閣僚に所属議員を輩出するまでに勢力を拡大した。

 ここまで勢力を拡大した日本会議とはいったいどういう団体なのか? 彼らはいったい何を目指すのか?

 まずは、彼らの主張を見ていこう。

--- 日本会議の目指すものは、

 1・美しい伝統の国柄を明日の日本へ

 2・新しい時代にふさわしい新憲法を

 3・国の名誉と国民の命を守る政治を

 4・日本の感性をはぐくむ教育の創造を

 5・共生共栄の心でむすぶ世界との友好を

 の6つであるという。これらの6項目にはそれぞれ美辞麗句がちりばめられた説明文がついている。その内容には立ち入らないものの、説明文を読めば、

「皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが(1)、昭和憲法がその阻害要因となっているため改憲したうえで昭和憲法の副産物である行きすぎた家族観や権利の主張を抑え(2)、靖国神社参拝等で国家の名誉を最優先とする政治を遂行し(3)、国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し(4)、国防力を強めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い(5)、もって各国との共存共栄をはかる(6)」

 と、要約することができよう。---

 地方議会での意見書採択などの活動方法は、従来、リベラル陣営や左翼陣営が展開してきた運動方法であり、運動方法として特段の新奇性があるとはいえない。むしろ、日本会議が従来の左派が行ってきた運動方法を模倣しているように見える。---

 なぜ、日本会議はこのような動員力を保持するに至ったのか? 彼らの「実働部隊」ないったいどういう人たちなのか?

 こうした日本会議の活動や動員が指摘される際、必ずといっていいいほど言及されるのが、宗教団体の関係だ。---

 日本会議側も宗教団体との関係を特段否定するわけでもない。

 公式サイトに公開されている日本会議の役員名簿をもとに役員表を作成した。

 これをみると、顧問から事務局長まで、役員総数62名のうち24名が宗教関係者によって占められていることがわかる。役員の3分の1以上が宗教関係者という計算だ。日本会議は極めて宗教色の強い団体であるといえるだろう。---

 ここで改めて、どのような宗教団体が日本会議に参加しているかを、団体名ベースで見てみよう。---

---とりわけ目につくのは、佛所護念会教団や霊友会など、明治維新以降に生まれた、いわゆる「新宗教」と呼ばれる宗教団体の比率の高さだ。また、神社神道系、教派神道系、新教神道系、仏教系、諸教系と、実にさまざまな宗派にまたがるという点も特徴的といえるだろう。---

---伝統と格式を誇る古くからの宗教(延暦寺をはじめとする天台宗など)と、明治以降成立したいわゆる「新宗教」が肩を並べるなど、明らかに統一性が見られない。また、霊友会と、霊友会から分派した佛所護念会教団など、信仰の現場では信者層の奪い合いになるような団体も同居している。---

 この問いの答えを探るため、次章では、彼らが日本会議のもとに糾合するに至った経緯を、1960年代にまでさかのぼって検証する。---

 


 

 「日本会議」という存在の実態が明らかになるにつれ、その存在の怖ろしさがじわじわと迫ってきます。 


日本会議の研究  菅野完著  扶桑社新書 ①

 読み始めて直ぐから、気持ちが落ち着かなくなりました。

 捉えどころのない怖ろしさ、見えないものにじわじわと押し寄せられる恐怖といったような感覚です。

 知らなかったことの怖ろしさを、嫌というほど思い知らされて、途中から読むのが苦しくなりました。

 それでも、この実態を知らないまま、この後を暮らすことは出来ないとも思いました。

 読み通すのがこれほど苦しい本は、あんまりないと思います。

 参院選投票前に、この本をたくさんの人が読んでいたら選挙結果が変わっただろうと思うと、悔しい気持ちになります。

 


 

はじめに 

--- 本書執筆時点で直近の衆議院選挙である第47回衆議院総選挙(2014年12月14日施行)では、確かに、自民・公明の連立与党が、議席配分としては圧倒的な勝利を収めた。しかし、得票率を見ると自公連立政権=49.54% 野党・無所属合計=50.46%と、わずかとはいえ、野党の得票率が上回っている。---

 これらの数字や分析を踏まえると、やはり、「日本の社会全体が、右傾化している」とは言い難い。

 社会全体として右傾化したとは言い難いにもかかわらず、政権担当者周辺と路上の跳ねっ返りどもだけが、急速に右傾化している・・・・・。これはなんとも不思議だ。

 少々、私事を挟む。

 私が「変な奴らが世の中で暴れ出しているぞ?」と思い始めたのは、2008年頃のこと。---

---「ネトウヨ」(ネットウヨク)という言葉通り、確かに彼らは、ネットを情報ソースにしている場合が多い。「2ちゃんねる」をはじめとするネットの言説に感化され、ネットでの呼びかけに応じて、デモや集会に参加する。だが、その大元のネットの書き込みをつぶさに見ていくと、個々人の勝手な妄想や思いつきから書かれた物もあるものの、大半は、「出典」が添えられている。そして、そうした「出典」はほとんどの場合、『正論』『WiLL』 『歴史通』といった、「保守論壇誌」だ。 

 この点に気づいた私は、保守論壇誌を手当たり次第に読み込むようになった。---

 そのうち、奇妙なことに気づく。こうした保守論壇誌に登場する面々には、「脈絡」がないのだ。--- 

 さらに、もう一つ奇妙なことがある。

 私が保守論壇誌の読み込みを始めた2008年頃といえば、第一次安倍政権の崩壊直後に重なる。体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が「安倍の突然の辞任は無責任だ」と答えている。

 にもかかわらず、保守論壇誌には安倍晋三が登場し続ける。有権者から無責任と烙印を押され、安倍晋三自身も鳴りを潜めて表立った動きを示していなかった時期にも、なぜか、保守論壇の「識者」たちは、安倍晋三の名前に言及し続けた。さらには、極めて早い時期から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる。

 これは奇妙なことではないか?

 路上で繰り広げられる醜悪なヘイトデモ参加者たちの一次的な情報源も保守論壇誌ならば、退陣し政治生命が終焉した安倍晋三を熱烈に応援し続けるのも保守論壇誌だ。その傾向は、安倍晋三が再び総理として返り咲いた後、さらに顕著になっていく。--- 安倍退陣から再登板まで、5年もある。あの5年間、彼らは全く同じことをやり続けている。その間、民主党政権の誕生と瓦解、東日本大震災など、さまざまな出来事があった。にもかかわらず、彼らは変わらない。同じことを繰り返している。何かある。この持続性と反復性を生む、何らかの原因があるはずだ。

 サラリーマンだった当時の私は、とある部局の責任者として勤務していた。予算や人事的な責任だけでなく、その部署における顧客対応と品質管理の最終責任も私の掌握範囲であった。製造ラインなりサービス部局なりのアウトプットが、ある「偏り」や「ばらつき」を示すとき、その「偏り」や「ばらつき」には必ず、原因が存在する。品質管理の手法とは、顧客アンケートや従業員アンケートなどといった定性的な情報に偏ることなく、徹底してデータを集め、そのデータを冷静に分析し、「偏り」や「ばらつき」を生むルートコーズ=根本原因を突き止めていく過程に他ならない。その根本原因は、しばしば、想定外のものであったりする。

 こうした品質管理の手法を「保守論壇誌」そして「保守論壇誌の登場人物」の解析に用いれば、彼らの「偏り」を生む根本原因を究明できるはずだ。

 そう狙いを定めて以降、手当たり次第に「サンプル」を集め出した。---

 そうして一つの答えに行き着いた。それが、「日本会議」の存在だ。

 日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば「全国に草の根ネットワークを持つ国民運動体」だ。

 私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで「右翼」あるいは「保守」と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、「右翼であり保守だ」と自認する私の目から見ても奇異そのものであり、「保守」や「右翼」の基本的要素に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。

 そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。

 そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体「日本会議」なのだ。

 「日本会議周辺の保守論壇人は異質だ」

 「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは、明らかに違う」

 集めたサンプルを虚心坦懐に読み解くと、そう結論づける他なかった。

 


 

 安倍晋三の政治姿勢を支えているものの正体が、明らかになっていきます。 


高麗川。

 

 訳あって、埼玉県日高市に行ってきました。

 埼玉県に足を踏み入れたのは、多分、生涯で初めてです。

 で、JRの高麗川という駅を利用したのですが、何とも風情のある駅舎でした。

  高麗川駅。.jpg

 そして、駅前にあるモニュメントに、不思議なものをみつけました。

  駅前モニュメント。.jpg

 「祝 高麗郡建郡1300年」と読めます。

 そういえば、途中に「高麗神社」という案内板がありました。

 調べました。

 「高麗神社」のホームページに、このような文章がありました。

  高麗神社由来。.jpg

 ふーーーーーん、知りませんでした。

 私の知らないことは、まだまだたくさんありそうです。

 話は、歴史のことではなく、電車のことに移ります。

 私が行きたい駅に向かう電車は、 1時間に1本しかありませんでした。

 しかも、乗ろうとしたら、これです。 

  手動ドア。.jpg

 手動ドアでした。

 乗る時は、停車中の電車のドアは開いたまま、長い時間発車待ちの状態でしたので問題無しだったのですが、降りる時どうしたら良いのだろうとドキドキしました。幸い、私が下りた駅は数名が降りてくれた駅でしたので、うしろからコソコソとついて降りました。

  いやぁ、近隣でも、ちょっとした旅行気分を味わうことが出来ますよ。 

 

 

 

 


庭の花たち。

 花が咲かなくて、寂しい庭になっているのですが、よーーく見ると、ひっそりと咲いている花たちがいました。

 まず、「モジズリ」です。

 モジズリ。.jpg

 ぴょこぴょこと、可愛らしい姿を見せてくれています。

 次に、「ドクダミ」。

 かなりの量を抜きましたが、まだ、あちこちに咲いています。

  ドクダミ。.jpg

 最後に、「南天」の花です。びっしり咲いています。

  南天の花。.jpg


男という名の絶望 病としての夫・父・息子   奥田祥子著 幻冬舎新書

 読むと、気持ちが重くなって、暗くなって、苦しさから抜け出すことが難しい本でした。
 
 不当なリストラに会って、
 妻にも話せず、
 子供とも距離が開き、
 母親の介護と妻の精神不安を抱え、、、、、、、、、
 
 という男たちの例を、インタビュー記事をもとに書いています。 
 

 
 
--- リーマン・ショック以降、景気低迷に頭を痛める企業の人員削減は非正規労働者だけでなく、正社員にまで及ぶ。今ではリストラの対象年齢が40歳代前半の団塊ジュニア世代にまで広がり、その手法はますます巧妙化してきている。---
 
--- 確かに、解雇しにくいことが成長産業への人材移動を妨げ、経済再生を阻んでいる、という主張にも一理ある。だが、肝心の人材移動の受け皿は未成熟のままだ。たとえリストラに備えて転職のためのスキルを磨いたとしても、流動化する雇用を吸収し得る確固たる産業は皆無に等しい。---
 
 

 
  
 という労働環境のなかにあって、ある日突然、不条理な解雇を、あるいは、不条理な職場異動を言い渡された男たち。
 
 不条理と分かっているのに、会社と戦っても「無駄」と諦めてしまう心情。
 
 でも、それを、妻にも子どもにも言えない。
 
 インタビュアーとして、現場の雰囲気を極力正確に伝えようとする姿勢なのか、辛い心の中をなかなか口に出せない男たちの姿をリアルに写し出している文章は、読み手には非常に苦しい文章です。
 
 

 
 
 
--- 内閣府の2014年度「男女間における暴力に関する調査」によると、配偶者からのDV被害の経験があった人の割合は女性が23・7%で、男性も16・6%を占めた。DVの内容別別では(「身体的暴行」「心理的攻撃」「経済的圧迫」「性的強要」の四つの選択肢から複数回答可)、「身体的暴行」が、被害男性は10・8%、被害女性は15・4%と、いずれも最も多かった。配偶者からのDV被害経験のうち、被害について「誰かに打ち明けたり、相談したりした」人は、女性が50・3%に上る一方で、男性は16・6%にとどまっている。
 ちなみに、「男女間における暴力に関する調査」は、内閣府の「『女性に対する暴力』に関する調査研究」事業の一環。表題からして、まるで「DV被害は女性」と決めつけているようだ。都道府県の婦人相談所などの行政や、NPO法人など民間が運営する被害者の一時保護施設、いわゆる「シェルター」は保護対象を基本的に女性に限定している。
 
 DV被害者男性自身が、肉親や友人など身近な第三者や行政機関などの相談窓口の助けを求めることが非常に困難であることを、幾多のDV被害男性への取材を通して痛感した。社会全体に広がるDVの「被害者は女性」「加害者は男性」という先入観が、もともと他者に弱みを見せられず、男性は女性よりも強くあるべきという旧来の規範に縛られている男性の、被害を相談するという行為をなおいっそう阻んでいると考えられる。--- 
 
 

 
 
 「DV被害者=女性 」と、私も単純に考えていました。
 
 しかしこの本には、妻からのDV被害に苦しむ男性が登場します。
 誰にも相談せず、相談することを考えさえしないで苦しんでいる男性が登場します。
 
 そして、「離婚=子どもとの別れ」に苦しむ父親も登場します。
 
 

 
 
 
--- 男性は今、仕事では、労働環境の悪化で職業人としての誇りを保てず、かたや家庭では、妻と心通わせることができず、子どもとの関係も含めた家庭不和に直面して夫、父親としての自らの価値、存在を見失い、もがき苦しんでいる。中でも、中年期を迎えてリストラのターゲットとされながら転職も難しく、晩婚化も影響して育児や子どもの教育に手のかかる団塊ジュニア世代をはじめとする40歳代男性に、その傾向が顕著だ。--- 
 
--- 女性こそが社会から抑圧されて苦しんでいるのだ、という反論は、当然あるだろう。--- しかし、女性には、仕事を優先する道、家事・育児に専念する道、そして仕事と家庭を両立する道といった複数のライフスタイルがある。--- 一方で、男性は働き続ける以外に選択肢がなく(無業者は増えているが、大半が自ら望んだことではない)、行政も彼らの生きずらさそのものには目が行き届いていない。---
 
--- 経済協力開発機構(OECD)が2005年にまとめた調査報告書〝WOMEN AND MEN IN OECD COUNTRIES”の項目〝Social isolation”によると、日本人男性は、調査対象21ヵ国のうち、「最も社会的に孤独(孤立している)」という。仕事以外の日常生活において、友人や職場の同僚とスポーツや教会、文化的なサークル活動に参加した経験を質問したところ、日本人男性は「全くない」「ほとんどない」が16・7%と最多で、2位のチェコ人男性(9・7%)を大きく引き離した。その後、OECDで同様の調査は行われていないが、この十数年の間、40歳代、50歳代を中心に若年層から高齢者まで、300人近くの男性を取材してきた経験から、男たちの孤独感はなおいっそう高まり、社会的孤立にまで深刻化していると、私は捉えている。---
 
 
--- 男たちがそこまで希求する〝居場所”とは、いったい何なのか。管理職ポストや給与の削減ばかりか、正社員であってもリストラの危機に瀕し、定年まで同じ会社で働くことが困難な時代を迎えていることからも明らかなように、会社は社員一人ひとりの待遇を保障することなど、とうに放棄している。妻はというと、すでに夫が家計を支え続けることを疑問視しており、自身が結婚当時に求めた理想の夫、父親ではあり得ないことも悟っている。家庭にはもう、一家の支柱としての男の威厳はない。
 職場でも家庭においても、団塊世代などかつて「男の特権」を享受した男たちが当然のように確保してきた覇権的な〝居場所”は、もはやどこにもないのだ。にもかかわらず、過去の価値観に支配され、周囲からの評価を気にし過ぎるために現実を直視できず、浮足立ったまま、夢の楽園を求めてさまよい続ける。そこに、男たちが苦悶する根源があるように思えてならない。---
 
 
--- 男として、強い自分もいれば、弱い自分もいる。問題の打開策を見出せずに心がさまよう時だってある。自己の一貫性にこだわり過ぎず、多元的な己のすべてを認めたうえで、厳しい現実から逃げないで、どんなかたちであろうとも働き続ける、どんな関係にあろうとも妻や子ども、母親と向き合うことをやめない。つまるところ、堂々と前を見て、生きてゆく。そのことが「折り合いをつける」ということなのではないか。
 「折り合いをつける」というと、対組織、対人関係において妥協する、つまり志を貫けずに折れる、目指してきたものを諦める、という言葉・概念のニュアンスで受け止める人も多いだろう。また、大和言葉の「和をもって貴しとなす」を思い浮かべる人もいるかもしれない。だが、私が提案したいのは、そのいずれでもない。「折り合いをつける」とは、社会が、組織が、他者が決めたルールではなく、自分自身が揺るぎない信念のもとに打ち立てたルールにのっとって、己の正義に基づき、自らの仕事を、家庭を、人生を諦めないための一世一代の「闘い」に挑むこと、そのことで自らが再起した証なのである。---
 
 
--- 男たちを十数年の長きにわたって取材してきて今改めて、男というものは、どんなかたち、情勢であっても、「闘い」続けることなくして、前に突き進んでゆくことができない生き物であるということを強く実感している。
 個人と個人、個人と社会は、互いに影響を及ぼし合いながら成り立っている。人は、この社会的相互作用を避けて生きてゆくことはできない。しかし、他者や社会から自身に投げかけられる視線を、そのまま「圧力」と感じるか、敢えて「期待」と変換して受け取るかは、ある意味、男性自身に委ねられている。
 Aさん自身の言葉にもあったように、「自分のものさし」で、「覇権的男性性」対「従属的男性性」の上下構造でもなく、また「主流」対「非主流」の対立構図でもなく、既成概念を覆す十人十色の「男」がいてもいいのではないか。決して、男の「闘い」も「プライド」も捨てる必要はない。ただ、少しそれらの概念を自分なりに捉え直してみるのだ。---
 
 

 
 
 と、終わりました。
 
 が、女である私が、男の立場に立って物事を考えることは難しいと思います。
 
 「相手の立場に立って考えてみる」とは、よく言われる言葉ですが、男と女の場合には非常に難しいことだと私は思います。
 
 「男と女は、本質的に、違った生き物だと思った方が良い 」というのが、長く生きて来た私が到達した結論です。
 
 という訳で、「重くて暗くて苦しい」想いを抱きながら、それ以上の感想を持てないまま終わりました。
 
 
 
 

大世界史  池上彰・佐藤優  文春新書 ④

 最後です。


 

佐藤  --- いずれにせよ、「帝国」の存在は、人口に大きく左右されます。アメリカが「帝国」でいられるのも、国内の出生率が低くとも、国外からの人口流入があるからです。豊かな経済基盤によって移民を呼び寄せられる国が、「帝国」になりうる。

池上  そうだとすると、中国は、やがて壁にぶち当たります。

 一人っ子政策によって、労働人口は、すでに減少し始めています。最近の中国の「膨張」の動きには、今のうちに「帝国」を広げておこうという、焦りのようなものを感じます。---

佐藤  中国の問題は、まさにその点にあります。

 少子化には、社会のさまざまな要因が関係しています。識字率もそうですが、食糧事情や医療制度、社会福祉制度も関連する。

 経済が豊かになって、肉食やパン食が普及すると、食費が増える。そうなると、子供を多くつくって粗食に堪えるより、少ない家族で美味しいものを食べた方がいい。また、医療制度や社会福祉制度が整ってくると、「子供が生まれても、そのうち何人が生き残るかわからない、老後の世話が心配だからたくさん子供をつくらなくては」といった不安が解消され、出生率は低下します。---

池上  かつてヨーロッパでは、「黄禍論」が唱えられ、日本人を含めた黄色人種が差別の対象となりました。日清戦争当時のことです。やはり人口の大小は、人々の世界観を大きく左右するようで、この時も、「人口の多い黄色人種は将来の脅威となるだろう」と受け止められたのです。

 こういう黄禍論はすでに過去のことかと思ったら、「現代版黄禍論」と言えるような話がありました。「ハーバード大学が入学選考時にアジア系米国人の志願者を差別している」と教育省に異議申し立てがあった、というのです。

 アジア系は成績優秀で、本来なら、ハーバードへの入学者がもっと増えていいはずなのに、そうなっていない。2400点満点の大学進学適性試験(SAT)の成績で言えば、アジア系学生は、白人を140点、ヒスパニック系を270点、黒人を450点、上回らなければ、入学できる確率が同等にならないそうです。---

 アメリカの大学は多様性を重んじていて、かつてはアジア系学生も歓迎していたのですが、今はアジア系が増えすぎて困っています。彼らは、親が教育熱心ですから成績がいい。

 3年前にアイオワ大学に行った時も、経営学部のキャンパスは、中国系と韓国系の学生ばかりになっていました。MIT(マサチューセッツ工科大学)も、カリフォルニア大学のバークレー校やロスアンゼルス校も、同様です。---

 いまの韓国は、ストレス社会で、学生に対するプレッシャーが激しいから、韓国の若者は、外国に出たがります。韓国よりアメリカの方がはるかに居心地がいい。日本の学生はそうではありません。外国に出るより、日本にいる方が居心地がいい。---

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池上  近代教育の始まりを考えてみますと、「帝国」の存在と密接に関わっています。

 たとえば、大英帝国は、植民地経営のための優秀な官僚を育成するために、現地に高等教育機関をつくりました。バグダッド大学やハルツーム大学は、そのようにして設立されたものです。

 これに対し、フランスは、現地の優秀な人材をフランス本国に呼び寄せて、本国の大学で教育しました。

 そして今日、イギリスに統治されたところには、大学があり、フランスに統治されたところには、優秀な人材はいても、良い大学がありません。

 ちなみに、1974年にポルトガル本国で革命が起きた際に、突然、植民地を手放したために、アンゴラも、モザンビークも、東チモールも、一挙に大混乱に陥りました。マカオに至っては、中国人民解放軍に対し、「植民地統治を維持できないので早く来てください」と頼むような有様でした。---

 モザンビークの人たちは、本当に気の毒なのです。宗主国の言語を覚えても、ポルトガル語だからあまり汎用性がない。ですから、「どうせ植民地になるのなら、イギリスの植民地になりたかった」と言っています。

佐藤  「帝国」は、プランテーション経営で収奪するにしても、現地の人間をきちんと教育しなければいけない。

池上  その点は、イギリスは巧みでした。「帝国」としての日本も、それを見習ったわけです。そうして、台湾に台北帝国大学、ソウルに京城帝国大学をつくりました。--------------

 やはり教育は、必ずしも無色透明で中立的なものではなく、国家のあり方と深く関わっていますね。---

 たとえば、オスマン帝国崩壊後のトルコの近代化においては、文字の表記を根本から改めたことは、先に述べました。

佐藤  表記法は、国家にとって非常に重要な問題です。

 たとえば、中国共産党はなぜ画数が少ない字体にしたのか。表向きは、この場合、識字率を上げるためですが、その本質は、国民からそれ以前の知識を遠ざけるためでした。簡体字教育が普及すると、それ以前に使われていた繁字体が読めなくなって、共産党支配以降に認められた言説だけが流通するようになる。歴史を断絶させ、情報統制を行ったのです。

 ロシア革命の後でも、ソ連はロシア語の表記を少し変えて、文字を4つ消してしまいます。ロシア革命前の宗教書や反共的な文書は図書館には収められていますが、特殊な訓練を受けた人しか読めなくなったのです。ナチスドイツがひげ文字のアルファベットではなく、英語と同じ読みやすいアルファベットを採用したのも同様です。---

佐藤  --- 2013年のOECD(経済協力開発機構)の統計では、日本の教育関連費は、加盟30ヵ国中、最下位でした。それは、教育システムが新自由主義に組み込まれてしまったからです。

 長いデフレのなかで学費だけは上がり続け、今の親の世代は、自分が受けた教育を子供に与えるのが難しくなっています。費用の面だけでなく、質の面でも、効率を求めすぎるあまり、物事を把握するために必要な教養が身に付くような教育になっていません。---

池上  --- 日本でも、もともと大学に行くのは一握りのエリートで、彼らは放っておいても勉強した。ところが、戦後、教育も平等でなければ、という思潮が強まると、高校進学率がどんどん上昇し、そのなかで授業についていけない生徒が出ても落とすわけにはいかない。だから全体のレベルが下がってくる。さらに今度は、皆を大学に入れるために入試を易しくしよう、ということになる。さらに少子化で、その傾向にますます拍車がかかっています。

 エリート教育が必要だ、と言われているのに、いまやこれが実情です。

佐藤  そこに教育の新自由主義がとどめを刺したわけです。---

池上  戦前の旧制高校では、ひたすら教養教育を行いました。それが可能だったのも、旧制高校に入れば、そのまま無試験で帝国大学に進めたからです。受験勉強の必要はありませんでした。

佐藤  それに、旧制高校も、旧制大学も、実はそれほど難しくなかった。むしろ入学者は、授業料の高さによって絞られたのです。官立も高かったし、私立はさらに高い。おそらく収入の高さと進学率にかなりの相関関係があったはずです。---

池上  大平正芳元首相が、成績優秀なのに資力がないので、近所の篤志家が資金を出して大学に進学させた、という話があります。今は高校、大学に行くのが普通になっていますが、かつては資力によって、自然淘汰されていたわけですね。

佐藤  エリートというのは、地域でのエリート、国政でのエリート、経済でのエリート、文化のエリートというように、さまざまな形態があります。ですから、エリートは、本来、偏差値競争の枠で考えてはいけないのです。-----------------------------------

 ところが、その高等教育を受けたエリートがナルシシズム化している。これは、日本だけではなく、世界的な傾向です。この問題は、エマニュエル・トッドが、『デモクラシー以後』(藤原書店)で取り上げています。

 新自由主義的な当時のサルコジ政権を批判する本なのですが、伝統的イデオロギーや宗教的概念が消滅するなかで、エリート層にどのような変化が起きるのかを鋭く分析しているのです。宗教やイデオロギーという集団的な価値観がなくなると、エリート層は、個人の利益増大だけに関心を集中させる、と。---

 「 --- 一つの階層全体の規模でナルシシスト化現象が起こるわけだが、それが行き着くところは、人間一般への関心を失い、個別的な社会集団の気掛かりだけしか反映しにくくなった、文化としての程度の低い文化である」(同書、114頁)---

--- そして、知のナルシシズム化は、排外主義につながっていきます。---

 

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 私と池上氏は、現在、二正面作戦を強いられている。第一正面は、日本を徘徊する反知性主義という妖怪との戦いだ。高等教育を修了し、司法試験、国家公務員総合職試験などの難しい試験に合格した人でも、反知性主義に足をすくわれることは珍しくない。

 反知性主義とは、客観性、実証性を軽視もしくは無視して、自らが欲するように世界を理解する態度をいう。---

 第二正面は、反知性主義とは、一見反対に見える、極端な実学重視との戦いだ。今年(2015年)6月8日、文部科学省は、全86の国立大学に、文科系を中心に既存の学部などを見直すように通知した。社会に必要とされる人材が育成できないならば、廃止や分野を転換しろと促している。---

 文科省は、経済界の要請に応えて、即戦力になる人材を求めているのであろう。もっともすぐに役に立つような知識や技術は、賞味期限も短い。どうもそのあたりの現実が文科省にも経済界にも見えなくなっているようだ。実は、このような「高等教育の実学化」の嵐がフランスでナポレオンの時代に吹き荒れた。その影響がドイツにも及んだ。この流れに抵抗したのが、ベルリン大学神学部教授で、著名なプロテスタント神学者のフリードリヒ・シュライエルマハー(1768~1834)だった。東京大学名誉教授で哲学者の山脇直司氏はこう述べる。

 「 ------------------ 学問のための施設は、学問的認識を目指す者同士の「自由な内的活動」によっておのずと生まれてくるものであり、国家が率先して創り出すものではない。ナポレオンを最高指導者とする中央集権国家は、本質的に実利を追求する機関であり、実利の範囲でしか学問を見ない。そうした国家にとって重要なのは、知や文化の質ではなく、実用的な情報や技術の量である。それに対して学問的思索は、「個別的な知がどのように連関し、知の全体の中でどのような位置を占めるか」を認識しようとする。シュライエルマハーによれば、一般に学者が国家に取り込まれれば取り込まれるほど、学問共同体は国家の御用機関に堕し、学問共同体は純粋に学問的な思索を追求すれば追求するほど、結果的に国家の質も高まる。---  」

 「国家にとって重要なのは、知や文化の質ではなく、実用的な情報や技術の量」であるという発想が、まさに現在、文科省や経済界が進めようとする大学改革の前提となっている。一見、近代的に見えるが、これは、中世の職人教育と親和的だ。狭い分野での最先端知識をつけた専門家をいくら養成しても、そのような専門家はすぐに役に立たなくなる。池上氏が呼ぶ教養は、シュライエルマハーが諸学を包括し、統合するところの哲学と同じ機能を果たす。このような教養は、歴史の中で生み出されていくのある。

 本書の『大世界史』というタイトルには二つの意味がある。第一は、世界史と日本史を融合した大世界史ということだ。日本の視座から世界を見、また世界各地の視座から日本を見、さらに歴史全体を俯瞰することにつとめた。第二は、歴史だけでなく、哲学、思想、文化、政治、軍事、科学技術、宗教などを含めた体系知、包括知としての大世界史ということだ。

 人間には、愚かさと聡明さ、残忍性と優しさが混在している。歴史から学ばなくてはならないのは、ちょっとした行き違いで、大惨事が発生するということだ。逆に言うならば、ちょっとした気配りと努力で、われわれは危機から脱出することもできるのである。大世界史から謙虚に、人類が生き残る術について、読者とともに学んでいきたい。---

     2015年9月14日                          佐藤 優 

 


 

 信頼できる情報を手に入れること、知って考えること、知って行動すること。

 それを教えてくれました。 

 


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