So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

「歴史認識」とは何か  大沼保昭著  中公新書 ②

第5章  二十一世紀世界と「歴史認識」(の続き)

江川  その後の第一次大戦で、それまでの戦争観は変わりましたか。

大沼  19世紀から20世紀初頭の欧米中心的な国際社会で、戦争は国家政策のひとつと考えられていました。外交の延長線上に戦争があり、外交と戦争を組み合わせて国家利益を実現するというのが、ヨーロッパの古典的な国際関係観だったわけです。第一次大戦勃発の時点で、ヨーロッパの指導者たちはそう考え、適当なところで外交交渉から講和となって終わるだろうと考えていたといわれています。ところが、科学技術の進歩のおかげで兵器の殺傷能力が高まり、戦車、毒ガスも使われ、また軍隊だけでなく国民も総動員される総力戦となって、それまでの戦争とはまったく違う大規模な殺戮戦になってしまった。--- 指導者が適当なところで手を打ってやめようと思っても、民衆がそれを許さない。

 軍事的にも、ドイツ、オーストリア=ハンガリーの同盟国軍とイギリス、フランス、ロシアなどの連合国軍は力が拮抗しているので、お互いに決定的な打撃を与えられない。米国が参戦して軍事力のバランスが徐々に連合国軍に有利に傾く一方、ドイツは1917年にロシアに起こった社会主義革命をみて、自国における社会主義革命の可能性に深刻な危惧の念を抱くようになった。戦争はもはや指導者がコントロールできる政策の手段ではなく、支配者がもっとも恐れる革命をもたらしかねないという認識が広まり、1918年、ようやく戦争が終わるのです。 

 終戦後も戦勝国、とくに英仏の国民のドイツに対する怒りは収まらず、とうてい実現が不可能なほど苛酷な賠償金をドイツに要求します。戦争終結時の英仏の指導者はそれがドイツには払うことができない要求とわかっていても、民衆の怒りを抑えることができず、そうした無茶な賠償をドイツに請求せざるを得なかった。実際、第一次大戦の犠牲者の数はそれまでのヨーロッパでの戦争と比べて桁はずれでした。---

 こういう事実から、さすがの欧米列強も、戦争を外交と並ぶ国家政策の一手段とみなす発想から、とにかく戦争を否定する方向に向かおうとしました。その第一が国際連盟です。--- これは、すべての連盟加盟国がお互いに武力行使をしないことを約束して、その約束に反して戦争をおこなう国には、ほかのすべての加盟国が協力して制裁をするという集団的保障体制で、制裁の威嚇で戦争を抑止しようとするものです。

 第二は戦争の違法化。--- これで戦争が国際法上はじめて、原則として禁止されました。世界が戦争を違法なものにしようとして、国際法上画期的といってよい成果が出た。しかしその3年後に、日本が満州事変を起こしてしまったのです。

江川  戦争は違法化されたけれど、植民地支配は違法とされなかったのですか。

大沼  されませんでした。第一次大戦中、ソ連の初代最高指導者だったレーニンと米国のウィルソン大統領が、相次いで民族自決のスローガンを掲げました。各民族は他の民族や国家の干渉を受けずに自らの政治組織や帰属を決める権利をもつ、という考えです。

 ただ第一次大戦後、民族自決はヨーロッパにだけ適用されました。アジア、アフリカなど、膨大な非ヨーロッパの植民地に適用することは、戦勝国である英仏が絶対に認めようとしなかった。敗戦国ドイツとオーストリア=ハンガリーと、1918年に戦線から離脱したロシア(ソ連)の支配下にあった東欧・中欧の諸民族が民族自決の担い手となって独立を達成しました。一方、英仏植民地の人々はその恩恵にあずかれなかった。

 それでも、民族自決という理念は、アジアやアフリカの指導者の頭にしっかりと埋め込まれました。アジア、アフリカの指導者は、ヨーロッパの諸大学に留学して、そういう新しい時代の思想に触れて、それを自分の民族に持ち帰った。アジアでも、19世紀後半から起きていた民族独立運動は、20世紀前半に活潑化していきます。アジアの独立運動の指導者は、欧米だけでなく日本の大学にも留学して、民主主義、民族自決の理念に触れたのです。

 中国は独立国でしたが、清朝の皇帝は満州族で、中国人の大多数を占める漢民族にとっては異民族支配と受け取られるようになった。こうして、1911年には漢民族を中心とする辛亥革命が起こります。19世紀末から20世紀前半は、アジアの諸民族が民族自決に目覚め、植民地支配と戦い始めた時代でした。日本はちょうどそうした時代の流れに逆行して、帝国主義・植民地主義政策をとっていた欧米列強をモデルとして帝国主義的な政策を推し進め、台湾・朝鮮の植民地支配を始めてしまったのです。

江川  そんな時期の日本の対応には、どういう問題があったのでしょうか。

大沼  この時代は人種主義が猖獗を極めていた時代で、「黄色人種」日本への欧米の偏見は強かった。その時代に生きていたら、わたしも欧米への強い反潑心を抱いたと思う。そうしたなかで日本人は、欧米諸国に追いつこうと、涙ぐましいほどよく働いたといっていいでしょう。

 ただ、この時代の日本がとても残念だった点があります。ひとつは、時代の流れを読むことができなかったこと。弱肉強食の帝国主義の時代は、第一次大戦後の戦争の違法化と民族自決の潮流のなかで徐々に変わろうとしていた。帝国主義と植民地支配に反抗するアジア、アフリカの諸民族のナショナリズムは明らかに勃興しつつありました。時代は変わりつつあり、日本にも石橋湛山や新渡戸稲造など、そうした潮流を理解する人々はいたけれど、日本全体としては歴史の転換を認識することができなかった。

 もうひとつは、明治以来一貫する「脱亜入欧」(停滞した旧弊なアジアの一員であることをやめて、「進んだ」「強い」ヨーロッパの一員になろうという、日本の政策と意識)の一環としてのアジア、アフリカの人々への差別意識です。日本は、パリ講和会議の際に、国際連盟規約に人種差別撤廃条項を入れることを提案しています。この提案は米英、オーストラリアなどの強い反対で採用されませんでしたが、人種差別撤廃を求めたという事実自体は高く評価すべきでしょう。ただ、人種差別撤廃を提案した当の日本が、中国人への民族的偏見をもち、朝鮮を植民地支配し、南洋諸国の人々を「民度の低い土人」とみていた。石橋湛山は、人種差別撤廃の要求を強く支持しつつ、「吾輩は我国民の実際に行いつつある所を見て、忸怩として、之を口にし得ぬことを残念に堪えぬ」(『東洋経済新報』1919年2月15日号社説)といっていますが、これはまったくそのとおりというほかありません。

 第一次大戦までの日本は、文明国として認められるために、懸命に国際法を守ってきた。欧米列強の人種差別は明らかに正義に反するものであって、その撤廃を主張することは欧米諸国も正面から反対できなかったし、非欧米諸国はむろん支持するものでした。このとき、日本自身が自己の主張にかなった行動をとって、当時の人種差別的な国際秩序を変える努力を積み重ねていけば、日本は諸国から尊敬され、中国との泥沼のような戦争 ─── 個々の「戦闘ではいくら勝てても、中国全国民を相手とした「戦争」では決して勝てない ─── に陥ることもなかったかもしれない。

 しかし、日本は中国に対してとうてい受け入れることのできない対華二十一カ条という不当な要求をつきつけ、朝鮮では過酷な武断統治を進めた。この結果、日本が人種平等条項を連盟規約に挿入するよう各国を説いているまさにその時期に、朝鮮では日本の植民地支配に抵抗する3・1独立運動が起こり、その2ヵ月後には中国で欧米列強や日本の帝国主義政策を批判する5・4運動が起こった。皮肉というほかありません。

 加えて、日本の軍人教育が内向きになっていったことも問題でした。山本五十六のように世界を知っている軍人は例外であって、東条英機をはじめとするほとんどの高級軍人が国際社会のあり方、趨勢に無知でした。当時の日本は遅れてきた帝国であり、欧米列強となんとか張り合おうと、つま先立ちで無理に無理を重ねていました。日本は列強の一員としてアジアの盟主であろうとしましたが、欧米列強と張り合うことができる唯一の部分が軍事力なので、無理をしてそこに膨大な国家資源をつぎ込んだ。すると民生に資源を振り向けることができないので、経済はますます厳しくなっていって、1929年の世界大恐慌にも対応できなかった。

 社会が行き詰まるなかで神がかり的な精神主義が擡頭してきます。第二次大戦でも、とにかく精神力があれば勝てるという発想に行き着いてしまった。日本は天照大神以来、万世一系の天皇を仰ぐ選ばれた民族であり、そういう民族として敵の捕虜になるなどもってのほかである、潔く戦って散るべきであるという発想が、『戦陣訓』で「生きて虜囚の辱めを受けず」ということばに象徴されています。そうすると、捕虜というものは本来あり得ない、ということになり、敵の捕虜を大事にするなどということもおよそ考えない。捕虜の適切な処置を規定する戦時国際法を無視するようになる。---

 


 

 また、ここで切ります。

 時代を読めない、精神論がまかり通る、、、、、

 そんな世の中の流れを止められなかったことが、悔しい。

 この後悔を、決して無駄にはしたくありません。 


再び、漆の紅葉。

 わずか2日で、漆の紅葉が進みました。

 鮮やかな赤に近付きました。 見て下さい。

 再び、漆の紅葉。.jpg 


超常現象。

 今朝、不思議な光景が見られました。

 ベランダに干した洗濯物の間に、紅茶ポットが浮かんでいます。

 これです。

 超常現象。.jpg 

 世間では、こういうものを「超常現象」と呼ぶのではないでしょうか。 

 次に、氏神様の大銀杏の紅葉です。

 余りの見事さに、乗る電車を1本遅らせて写真を撮りました。

  銀杏の紅葉。.jpg 

 最後に、我が家の漆の木の紅葉です。今一つですが、見て下さい。

  我が家の漆。.jpg

 


「歴史認識」とは何か  大沼保昭著  中公新書 ①

--- 本書でわたしが成し遂げたいことは、すぐれたジャーナリストである江川紹子さんに聞き手の役を演じてもらうことによって、読者の方々に「歴史認識」にかかわる「見取り図」を示すことである。そして、本書の読者が、それまで自分がもっていた見取り図をすこしでも考え直し、自分と対立する考えをもつ人たちと見取り図を突き合わせるのを助けることである。

 これにはいくつかの作業が必要である。

 第一に、問題にかかわる基本的な事実を知っていただかなければならない。

 第二に、そうした事実の認識と解釈に ─── 日本国内でも、日本と外国との間でも、外国の国内でも ─── 大きな違いがあること、そしてその違いを生み出すさまざまな理由、根拠と原因があることを知っていただかなければならない。ある国の国民の常識が他国の国民の非常識というのは、国際社会ではよくあることである。日本国内においてさえ意見の極端な違いはあるし、反日一色で染まっているようにみえる韓国の国内にも、そうした「反日」を批判し、克服しようとする声はある。そういうことを知ってもらいたい。

 第三に、違いが出てくる背景や思考の枠組みを浮かび上がらせることにより、「歴史認識」をめぐって対立する考えの持ち主たちがなぜかくも異なる認識をもっているのかを、同意できないまでも、理解できる材料を提供したい。これが本書のねらいである。

 わたしの考えでは、「歴史認識」にかかわる諸問題が二十一世紀になっても激しく論議され、対立を生んでいる根本的な原因は、①戦争と植民地支配、そして人権というものへの国際社会全体の捉え方が二十世紀を通じて大きく変化した、②それに伴って、第二次世界大戦と朝鮮植民地支配について1970年代までにサンフランシスコ平和条約、日韓と日中の国交正常化などで法的に解決されたつもりだった問題が、80年代以降見直しを求められるようになった、③日本国民の間に、戦争と植民地支配の問題について反省をしつつも、「東京裁判=勝者の裁き」という見方に代表される諸外国の「不公平さ」への割り切れない思いが一貫して存在していた、④中国と韓国の人々が近現代史をみるうえで深い被害者意識を抱いており、その矛先が「加害者」日本に向けられやすい、といった点にある。---

 


 

 と、始まるこの本を貫いている姿勢は、「公正」「誠実」「丁寧」です。

 学者の姿勢として、これほどまでに「公正」「誠実」「丁寧」なものを読んだことがないと言っても良いのではないでしょうか。

 「事実の認識と解釈の違い」を、認識が偏ることのないように説明するためには、ここまで「公正」「誠実」「丁寧」に語る必要があると著者は考えています。

 著者の姿勢に、感服の思いで一杯になりながら読みました。

 第1章  東京裁判 ─── 国際社会の「裁き」と日本の受けとめ方

 第2章  サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の「正常化」 ─── 戦争と植民地支配の「後始末」

 第3章  戦争責任と戦後責任

 第4章   慰安婦問題と新たな状況  ─── 1990年代から二十一世紀 

 と、「公正」「誠実」「丁寧」な姿勢を貫く記述が続きます。

 記述は、本当に「公正」です。「誠実」です。「丁寧」です。

 これらを簡単に短くまとめてしまうことは、著者の一貫した姿勢に反することになってしまいます。

 という訳で、この本は、短くまとめることを止めにしました。

 ただ、最後の章 第5章は、「そうだったのか」と思ったことがいくつかありましたので、その部分を抜き出しておきます。これくらいは許していただけるでしょう。

 


 

第5章  二十一世紀世界と「歴史認識」 

        -------------------------------- 

大沼  ヨーロッパ諸国が世界のさまざまな地域に侵出して植民地化していった歴史は、15世紀に始まります。個人的な名誉欲と物欲、イスラーム教徒と対抗するための同盟者を求め、さらにキリスト教の布教という使命感をもった混成集団が、アフリカ、中南米、アジアへと出ていったわけです。ポルトガルの「航海王子」エンリケがアフリカ西岸への探検を援助し、1492年にクリストーバル・コロン(コロンブス)が「新大陸」を「発見」し、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが「インド航路」を「発見」する。スペイン、ポルトガルの両国が中南米諸国を植民地化し、強制労働や物質的な搾取がおこなわれた。---

 スペイン、ポルトガルに続いて、オランダ、英、仏、ベルギー、ドイツ、ロシア、さらに米国も世界各地を植民地化した。こうした国々には植民地支配が悪であるという観念はほとんどなかったし、そういう国々がつくり運用した国際法も、植民地支配を認め、むしろその道具として機能した。19世紀後半には、欧米の白人の間で、自分たちのすぐれた文明をアジアやアフリカの「未開」「野蛮な民族」にもたらす尊い義務がある、とい考えが流布します。「文明(化)の使命」「白人の義務」ということばが流行し、植民地支配はむしろ倫理的に正しいこと、聖なる責務とされました。

 日本が日清戦争に勝って台湾を植民地支配したのが1895年、李氏朝鮮に強い圧力を加え最終的に植民地化したのが1910年です。当時は、欧米列強もアフリカをはじめ世界各地を大々的に植民地化していた時代ですから、日本の行為が倫理的・法的に非難されることはなかった。このように、第一次大戦以前の国際法は植民地支配を違法なものとしておらず、欧米列強も日本も、植民地では人種的・民族的偏見にもとづく差別的な支配をおこなっていたわけです。

江川  世界的におこなわれたヨーロッパによる植民地支配のなかでも、アジアは他地域に比べ、植民地化が比較的遅かったわけでしょうか。

大沼  中南米とアフリカ、南太平洋の島嶼には、ヨーロッパの列強に対抗できる強大な国家組織がほとんどなかったのです。アメリカ大陸にはインカ帝国などはあったのですが、内戦や伝染病の蔓延などで弱体化し、比較的少数のスペインやポルトガルの軍事力によって支配されてしまった。他方アジアには、中国の明・清朝、インドのムガル帝国、トルコを中心とするオスマン帝国など、ヨーロッパの諸国よりはるかに強大な王朝国家が存在していた。そのため、ヨーロッパ列強は当初はこうした強大な王朝国家のルールに従って貿易をやらせてもらっていたのです。

 ところが、18世紀から19世紀には、ヨーロッパ列強とアジアの諸王朝との力関係が逆転する。オスマン帝国はかろうじて独立は保つけれど、17世紀にはヨーロッパ列強に従属する地位に転落し、ムガル帝国も19世紀には大英帝国に植民地化されてしまう。

 最後まで残った中国の清朝も衰退期にさしかかっており、英国とのアヘン戦争(1840~42年)以来ヨーロッパ列強との戦争に敗れ、19世紀末には完全に没落する。ちょうどその時期に日本は米国のペリーが率いた艦隊の圧力の下に「開国」し、欧化政策をとって、それまでの中国を中心とした東アジア文明圏から欧米中心の国際社会の体制に乗り換えます。そして、欧米列強をお手本として、台湾と朝鮮を植民地化するわけです。

 


 

 日本は、欧米列強をお手本として植民地獲得に乗り出していったのですね。

 何事も欧米列強に倣う。

 明治維新の頃の日本人は、欧米に追い付くことだけに必死だった。

 

 

 長くなりますので、一旦、ここで切ります。 


「トランプ」の日本版。

 遠縁の89歳の介護に、精神的に参っています。

 理由は、89歳の「傲慢」「尊大」「自己認識の肥大」等からくる暴言に、私の気持ちが逆撫でされ続けるからです。

 89歳は、女性の医者です。 

 この年齢の女性医師は、確かに数が少なかったでしょうから、プライドの高いことは理解出来ます。

 しかし、この人の「自己認識の肥大」は、病的と言っても良いのではないかと思えます。 

 どんな暴言がその口から発せられるかをここで書いてしまうと、特定の個人を誹謗中傷する内容を書いてしまうことになるので控えるしかないのですが、内容は、まさにトランプと同じです。

 「人種差別的発言」「階級差別丸出し」「人格否定」等々、よくもこんな発言が出るものと呆れ果てます。

 自分では、「私は毒舌だから」と言います。

 しかし、私には「毒舌」とは思えません。毒舌が含む「諧謔」の深みが全く感じられません。その場から離れた瞬間には私の悪口を言っている、ただの「井戸端会議的な悪口」でしかありません。

 病室に行っている間中、暴言を吐き続けます。

 私の気持ちは、ざわざわし続けます。ストレスが溜まります。

 ところが、不思議なことに、職場の元同僚(職種の異なる人たちばかりですが)が見舞いに来て下さいます。

 そして、口を揃えて、「素敵な人です。キラキラ輝いていました。元気を貰っていました」とおっしゃいます。 

 私は返答に困って、「???・・・・ 」。「こんな人のことを、そんな風に想って下さいまして、本当に有難うございます」と答えるしかありません。

 89歳は、自力では何も出来なくなった今も、コンパクトを手許に置いて、鏡で自分の顔をチェックし続ける程のお洒落人間です。

 身に付けるものは、超のつくブランド品ばかり。

 数ヵ月前、手術を受けた後の退院の日の服装は、何十万円もするジャケットとパンツを組み合わせ、首には大粒の真珠のネックレス、指には大きい宝石が埋まった指輪。シルクのストールを首から垂らして、黒い鍔広の帽子(美容院に行けなかったので頭部を隠すため)を斜めに被っていました。杖をつかなければ歩けない程体力が衰えてしまったので、健康な人間の3分の1歩ほどの歩みしか出来ないのに、自分の中のイメージでは「颯爽と」退院しました。

 「キラキラと輝く、元気を貰える」というのは、こういうところを指すのでしょうか。

 立場が違う、価値観が異なる、と、ここまで評価が違ってきます。

 一人の人間に対する評価が、ここまで異なります。 

 ① 89歳が見せる姿勢が、相手によって変わる。

 ② 89歳を見る目が、どういう価値観を持っているかによって異なってくる。

 原因はどちらにもあるかと思いますが、この現象は、私に「哲学的な思索」を促します。

 自分が思い描いている「自己像」と、他者が見る「自己像」は違うということですね。

 「こうでありたい 」「こういう自分であってほしい」「このように見られていたい」と考える自分と、「この人はこういう人だ」と他者が考える自分との間には、乖離がある。

 そういう事実に、改めて気付かせてくれる、89歳の姿です。

 それにしても、年を取るということは、厳しくて難しくて辛いことです。

 「明日は我が身」と思うと、本当に辛くなる介護です。 


新・戦争論  池上彰・佐藤優  文春新書 ⑨

第8章  池上・佐藤流情報術5カ条

佐藤  いまの日本は、ある意味で、民主主義が進みすぎて息が詰まりそうになっているように思います。

 民主主義は、独裁と矛盾しません。100人の議員が99人に減っても問題はありません。98人でも問題ない。その操作をずっと続ければ、最後には1人でも問題ないとなる。ドイツの法哲学者、カール・シュミットが言っている通りです。

 それに対し、自由主義の根本原理は、「おれが人に迷惑をかけていない限りおれに触れるな」というものです。今の日本は、民主主義の危機ではなく、自由主義の危機なのです。民主主義が自由主義の領域を侵犯しようとしている。

 その苛立ちが、ネット空間においては、陰謀論が花盛りという形で現れています。---

池上  ネットに自分の意見を書き込むような人は、まだまだ少数派であることを忘れて、ネットの論調を社会全体の論調と思い込み、すぐに「マスコミは偏向報道している」と言い出すのはとても残念であり、不健全な考え方です。

 日本は、軍事大国にはならないというのであれば、その分、インテリジェンス機関をつくって、きちんと機能させなければなりません。

佐藤  賛成です。ただし、インテリジェンス機関をつくることと特定秘密保護法は、実はあまり関係ありません。あれは、官僚が政治家から情報を隠すための法律ですから。

 諸外国から見れば、池上さんは、日本における個人のインテリジェンス機関です。その他の、今の怪しいシンクタンクとかは、ほとんどがトンチンカンなオタクです。---

池上  おっしゃるように、どの国でも、スパイの情報源の98パーセントか99パーセントは、実は公開情報なのですね。

 それなら私にだってできる、というのが私の基本姿勢です。残りの1パーセントか2パーセントの部分では、プロに敵わないのですが。

佐藤  しかし、その1、2パーセントというのは、だいたい要らない情報です。たとえば、ウランを20パーセントから90パーセントに濃縮する方法は、やはり軍事情報でなければわからない。けれども、それが情報分析に必要ありますか、ということです。---

池上  とはいえ、やはりある程度の力はあったほうがいいわけで、そのためには、複数のニュースソース、新聞なら複数の新聞を見ることです。少なくとも論調のまったく異なる二つの新聞が必要です。今は、みんなインターネットで済ませている。これは、やはり非常に危険です。---

佐藤  --- 何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。その上で「これは違う」と思ったら乗っかる先を変える。

 信用できる人の数は、英語の世界でも、ロシア語の世界でも限られています。私なら、日本語文献で乗っかれる人は、10人もいない。だからその10人をきちんと自分のなかにリストアップしておいて、この分野だったらこの人が強い、というのを心得ておくことです。

池上  その10人を選ぶときには、時間の経過が必要です。たとえば、予測や分析ということで、いろんな人がいろんなことを言っている発言をスクラップの形で取っておいて、時間が経ってから、その人が何を言っていたかなと振り返って見るのです。

 ときに、とんでもない間違いをしていたりすることがある。もちろん、人間ですから過ちはある。しかし、自分の過去の失敗に口を拭っていたりする人は、はやり信用できない。それに対し、たとえ間違っても、「私はこう言っていたけど大きく見通しが外れました。申し訳ない」と正直に言う人は、かなり信用できますね。---

 

 

終章  なぜ戦争論が必要か 

佐藤  さて最後に、この本での議論を総括してみます。

 私が数年前から「新帝国主義」と言うようになった理由は、一つにはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』のような、自由民主主義が到達点に達し、歴史が終焉し、退屈な時代になったという考えは間違っているということ。それから、グルジア情勢が悪化したときに「新冷戦」と言われたけれども、それも間違いだということ。それを言うためです。

 冷戦の一番の特徴は、イデオロギー対立でした。ところが、グルジア情勢をめぐるグルジア、ロシア、アメリカの対立には、イデオロギーの対立はどこにもない。典型的な領土争いであって、旧来型の帝国主義の対立です。では、そこになぜ「新」がつくのか。

 一つは、帝国主義の特徴は、全面戦争をすることでしたが、そうせずに局地戦にとどめていいる。おそらく制約要因は核兵器です。帝国主義国が核兵器を持っているから。

 もう一つは、植民地を獲得しようとしないこと。第二次大戦後の経験で、植民地の経営にかかるコストが認識されたからです。植民地をもたず、全面戦争もしないけれども、帝国主義だから、「新帝国主義」だということです。

 新帝国主義の特徴は、ホブソンとレーニンの帝国主義論の延長線上にあって、要するに資本の過剰がその背景にある。お金が儲かるような投資対象が国内にないから、金融を中心として外に投資して儲けようとする。

 外交面においては、ニュートン的な力学モデルです。すなわち力による均衡。新帝国主義国は、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み、国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化していく。他方、相手国が必死に抵抗し、国際社会も「やり過ぎだ」と言う場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなくて、譲歩したほうが結果として、自己の利益を極大化できるという判断によるものです。

 これは、非常に古典的な力学モデルで、ある意味では、新自由主義的、新古典的的な市場モデルと似ています。強いて言うと、動学的均衡モデルに似ている国際関係です。そういうことを強調したいので、「新帝国主義」という言葉を打ち出したわけなのです。

池上  それを私流に言うと、「過去の栄光よ、もう一度」ということです。

 たとえば、ソ連が崩壊してロシアになってしまいましたが、旧ソ連のクリミア半島の権益を守りたい、という気持ちが、やはりプーチン大統領にはあるでしょう。

 中国が今、南シナ海からさらにインド洋まで進出しようとするのも、明の鄭和の大航海であの辺を開拓したからだ、というわけです。南シナ海がなぜ中国のものなのか。何の理論的な根拠も出せない。「いや、鄭和があのあたりを開拓したからだ」と言うばかりです。

 鄭和は、ヨーロッパのいわゆる大航海時代に先立って、大船団を組んでインド洋から中東まで行っている。中国は、そういう海洋国家を復活させようとしています。

 あるいはチベットも、清の時代にあそこまで支配していたのであり、新疆ウイグル自治区も、清の時代に取った土地です。過去に統治した土地は、すべて自分のものだ、という考えですね。

 イラクの「イスラム国」は、2020年までに、東はインド、西はスペインまで取り戻す、と言っています。---

 EUも、トルコの加入を認めなかったりしています。かつてのハプスブルク帝国のところでまとまって、それより東にはなかなか行かないことになったり、フランスがサルコジ前大統領のときに「地中海同盟」をつくろうと言ったのも、過去にナポレオンが支配したところを取り戻そうとする意味がある。

 それぞれの国にとっての「過去の栄光を再び求める動き」が剥き出しに出てきているのではないか。佐藤さんの分析を私なりに補足すると、そういうことになっているという気がします。

佐藤 私も同じ考えです。別の言い方をすると、「未来としての過去」ですよね。共時的なモデル、つまり今の時代によいモデルがない。かつては共時的に共産主義というモデルがあったわけです。あるいは自由民主主義しても、共時的モデルとしてあった。それがなくなると、通時的にモデルをつくるしかない。しかし、未来を想像するのは難しいわけで、過去にモデルを求めるのです。ただ、その過去のモデルというのは、過去そのままではなく、必ず現代に引き付けて解釈されていて、別のものに変質していく。

 近年、「近代の超克」の再評価があるようですが、私が思うに、「近代」は、超克などできません。

 「近代」というのは、自由、平等、友愛でしょう。-------

--- 「自由」「平等」「友愛」という、この三つが、資本主義システムのなかに埋め込まれているのです。三つのうち、いずれかが強くなると別のものが出て来て、それを抑える。一番目の「自由」によって、新自由主義的な形で経済の力が大きくなりすぎて、格差が広がる。すると、システムが壊れてしまうからというので、「国家」が出てきて制御しようとする。それから別の形においては、エスニシティが出てくる。

                    ※ エスニシティ(エスニックな集団) 

 私は、これまで「20世紀はソ連が崩壊した1991年に終わった」という見方をしていましたが、最近、これは間違いだったと思い始めています。20世紀は、まだ続いているのかもしれない。戦争と極端な民族対立の時代が、当面続いていくのかもしれない、と。その意味で、本書は『新・戦争論』 なのです。

 ウクライナ問題がなぜ解決しないかというと、誤解を恐れずに言えば、まだ殺し足りないからです。パレスチナ問題が解決しない理由も、流血の不足です。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行かないと、和解は成立しないのです。---

--- 「この争いは無益だ」と思うためには、一定の数の人間が死なないとダメなのですが、それは、ある国では何十人、ある国では何万人になる。時期によっても、変わります。---

 要するに、「嫌な時代」になってきたのですよ。これから世界を生き抜くために、個人としては、嫌な時代を嫌な時代だと認識できる耐性を身につける必要がある。そのために、通時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ること。知識において代理経験をして、嫌な時代に嫌なことがたくさんある、というのをよく知っておくことです。

池上  歴史を改めて勉強することが必要ですね。学生時代は、歴史を何のために勉強しているのかまったく理解できなかったし、全然おもしろくなかった。今になって、歴史を読むと「ああ、歴史は繰り返す」と思います。その通りには繰り返さないけど、何か同じようなことが起こる。マルクスの有名な言葉がありますね。

佐藤  「ヘーゲルは歴史は繰り返すと言ったが、そのとき一言付け加えるのを忘れていた。一回目は悲劇として、二回目は喜劇として」。---

 「今後、第三次世界大戦は起こりうるのか? 起こるとしたらどんな形の戦争が考えられるのか?」という問いかけも出てくくるでしょうが、それに対しては、「そういうことはあってはならない」という立場で、私は全力を尽くしたい。

 そして実践的な課題としては、軍事エリートと政治エリートのトップから馬鹿を排除すること。馬鹿な兵隊、馬鹿な政治家がいても、彼らが自滅して終わりになるのはいい。しかし、トップにいた場合、部隊もしくは国家が全滅することになりますから。---

 

おわりに 

 

 池上彰氏は、良心の人である。この場合の良心とは、「優しい人」とか「善い人」ということとはちょっと違う。ジャーナリストの職業的良心に基づいて、一貫して行動するという意味だ。朝日新聞をめぐるゴタゴタの中で、池上氏の本領が発揮された。---

 この事件の発端となったのは、8月29日掲載予定の池上氏の原稿に、朝日新聞の慰安婦報道検証が遅きに失し、「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」との記述があった。朝日新聞社がそれに過剰反応し掲載を見合わせた。この情報が週刊誌などに漏れたので、あわてて9月4日付朝刊にこの連載を掲載した事件だ。この程度の批判を受け止められないようでは、朝日新聞は自由な言論の場を提供する公器と言えなくなる。---

 同時に、今回の事件は、別の観点からも深刻な問題をはらんでいる。この掲載見合わせに関する情報が、池上氏からではなく、朝日新聞側からリークされたことだ。--- 新聞は編集権を持つ。認識や利害関係の違いから、著者と編集部の間で、さまざまなやりとりがなされることがある。それについては双方が同意しない限り外部に漏らさないというのがルールだ。そうでないと書き手は、編集部に秘密情報や率直な意見を伝えることができない。池上事件で露呈したように編集サイドから、書き手との間で信頼関係に基づいて秘密裏に打ち合わせている事柄が流出する状態では、朝日新聞と本気で仕事をする書き手がいなくなる。

 池上氏は、朝日新聞バッシングからは、距離を置いた。朝日新聞の失敗に付け込んで、販売拡大に腐心するライバル紙を厳しく批判するとともに、木村社長の国会招致を煽る週刊誌に対しては、「言論に対しては言論で」という原則を堅持すべきで、出版人が国家権力がメディアに介入する隙を与えてはならないと戒めた。世論が興奮状態にあるときに、このような筋の通った発言を一貫して行うことができるのは、池上氏がジャーナリストとしての職業的良心に忠実だからだ。政治的、戦略的発言をする論壇人や記者が多い中で、池上氏との対談は、とても新鮮かつ有益であった。---

 


 

 「 --- 実践的な課題としては、軍事エリートと政治エリートのトップから馬鹿を排除すること。馬鹿な兵隊、馬鹿な政治家がいても、彼らが自滅して終わりになるのはいい。しかし、トップにいた場合は、部隊もしくは国家が全滅することになりますから。--- 」は、全くの同感です。

 「とりあえず自民党に投票する」という人たちに、この部分を読ませたいです。

 「とりあえず・・・・・」と言っているうちに、とんでもない方向へ進んでしまっているのですから。 

 


新・戦争論  池上彰・佐藤優  文春新書 ⑧

第7章  弱いオバマと分裂するアメリカ

池上  これまでアジア、中東、ヨーロッパ諸国について二人で論じてきましたが、最後はアメリカです。東西冷戦崩壊後も、唯一の超大国として君臨してきたこの国は、良くも悪くも、時の大統領の資質によって左右されてきたと思います。そう考えたとき、黒人初の大統領であるオバマは、教養が邪魔しているという感じがします。

 前任者のブッシュ大統領に比べて、はるかにインテリで、思慮深くて、いろんなことを考えるわけですが、あれこれシミュレーションもするものだから、決断に時間がかかる。--- もちろん、9・11以後に行ったイラクやアフガニスタンでの失策から何とか抜け出さなければならない、というアメリカのトラウマがあることは承知しています。それゆえに決断が遅くなるのも無理ないかもしれません。しかし、そのことが結果として、全世界に悪影響を及ぼしていると思います。

佐藤  --- 彼は非常に複雑なことを考えているのでしょうが、大統領として下すべき決断は、単純にならざるを得ないのです。たとえば、イラクではイランと組んで殺しをやるのかどうか、とか。シナリオの種類は限られている。しかし、そう思い切るには、やはり教養が邪魔するのですね。

 いまアメリカは、日本ではあまり議論されることのない問題に頭を痛めています。アメリカで地下に潜んでいた人種主義が再び表に出始めたのです。---

池上  その騒動を鎮圧するために警察が使ったのが、軍で使うような装甲車だったことも騒ぎに拍車をかけました。イラク撤退後のアメリカは、イラクで使っていた軍用兵器が余っています。とくに装甲車が大量に余ったので、全国の警察に無料の払い下げを始めたため、ミズーリのファーガソンの警察も、その装甲車を使っている。---

佐藤  --- アメリカの民主主義は、黒人、あるいは先住民を排除したところに成り立つ民主主義であり、この問題がいまだに克服されていないことが白日の下にさらされてしまったわけです。

 見方をかえれば、オバマ自身も、〝名誉白人”にすぎない。オバマは、自分の黒人としてのルーツに関してアイデンティティの危機を抱えていると思います。---

 そしてアメリカという移民国家が根源的に抱える問題が、初の黒人大統領というオバマ自身を通して現れているのではないかという気がします。ロースクールを出ているし、一般教養のレベルも高い。けれども、人種主義に関する悪を教えられていないという問題です。

池上  悪というものを教育しなければいけないのですね。

佐藤  世の中にはどういう悪があり、人間にはどういう偏見があるのか、ということを教育することは、極めて大切なことです。

 エマニュエル・トッドというフランスの人口学者が『移民の運命』 という本のなかで、アメリカで、今後、次のような事態が起きるだろと予言しています。

 極論すると、民主主義が成立する国は限られていて、それは、相続が兄弟間で平等な国だけである。相続が平等な国は、世界でも、フランスのパリ盆地と地中海沿岸のヨーロッパにしかありえません。

 日本のような長子相続、あるいはアングロサクソンのような遺言による相続の社会では、兄弟は差別されます。日本でも、戦前は長男の味噌汁には卵が入っていたり、一つおかずが多いのは、当り前でしたね。

 アメリカの場合は、「黒人の差別の上に白人だけが平等に成り立っている」という構造があって、この構造はいくら公民権運動をやっても変わらない、というのがトッドの見方なのです。---

 アメリカに潜在している諸問題が、これに関連して浮かび上がってきます。たとえば、なぜモルモン教の熱心な信者たちは本拠地のユタ州からあまり動こうとしないのか。

池上  やはり他の土地に行くのは怖いのでしょうね。モルモン教徒は、アメリカの中でずっと差別されてきて、迫害されてユタ州まで逃げてきたのですから。結局、公民権運動の歴史は、生かされていないのでしょうか。

佐藤  融合しないアメリカ、分裂するアメリカという点で、「2050年問題」も、オバマを悩ませているに違いありません。もはやオバマ政権は外交ではなく、内政問題にしばられているのではないでしょうか。

池上  「2050年問題」とは、建国以来、圧倒的に優位だった白人が、人口数として少数派に転ずるのではないか、という問題ですね。---

佐藤  人口逆転が起きたら、国全体でみれば、共和党は選挙に勝てなくなる。今のスローガンとは別のものを出さなければなりません。

 しかし、一方で実質的な権力を握っているのは、数としては少数派のウォールストリートであり、WASP(アングロサクソン系白人プロテスタント)である、という構造は依然として変わらない。そうすると、アメリカにおける統治のしくみが大きく変化せざるをえなくなります。民主主義というツールは実効力を失っていくでしょう。そして今の日本と同様に、正統性が不明瞭な諮問会議のようなしくみがアメリカでも増えてきて、だんだん影響力をもってくるのではないでしょうか。民主主義を迂回する一つの方法です。世界の構造がいま変わりつつあるなかで、民主主義を錦の御旗として掲げてきたアメリカですら、そうした迂回術を受け入れざるを得なくなるのではないでしょうか。--------------

池上  人口逆転を前にして路線修正を模索すべき共和党は、党内に不安要素を抱えています。ティーパーティー(茶会)という過激な原理主義者たちで、これが困ったことになっています。---

 


 

 この本の第1刷発行は、2014年11月20日です。

 次期大統領トランプ登場の2年前です。

 それでも、今回のトランプ現象の予兆を語っているように思いました。

 アメリカも、世界も、大きく変わるときが来ているようです。 

 

 


新・戦争論  池上彰・佐藤優  文春新書 ⑦

 



 

 

 このあたりも、今日の午前中は雪が降りました。うっすらと積もりました。

 寒い! すごく寒い! 身体が寒さに慣れていないからだとは思うのですが、それにしても寒い!

 



 
 
 
第6章  中国から尖閣を守る方法

 

池上 さて 、いよいよ中国です。近年、日中間には多種多様な懸案が山積していますが、日本にとって脅威に直結しやすいのは尖閣諸島問題です。---

佐藤  --- 尖閣問題をみていく前に、領土問題の基本をお話しします。

 国際法の教科書や大学の国際政治のゼミと、現実の国際政治は違います。

 現実の国際政治では、双方が問題が存在すると認めている場合のみ、問題が存在することになるのですが、そんなケースはめったにありません。その珍しい事例のひとつが、日露間の北方領土問題です。

 一方が問題があると主張し、他方がないと主張する場合、外交の世界の現実では、自らが実効支配している側は、領土問題は存在しないと言い続けるのが基本です。

 たとえば、対馬に関して、韓国の一部の人たちが領土要求をしている。しかし、韓国政府は要求していません。主体はあくまで国家ですから、日韓の間に対馬の領土問題は存在しません。---

 日本の場合、困ったことに、竹島と尖閣が裏表になってしまった。竹島は実効支配され、尖閣は実効支配している。どちらか一つならば、一つの論法で良いのですが、この二つでは相反する論法をとらざるを得ません。竹島については、「韓国よ、客観的に見て領土問題は存在するではないか。それだけはお互いに認めようよ。そこからスタートしよう」と主張しています。が、尖閣については、中国から、「日本よ、尖閣に客観的に問題が存在するところからスタートしよう」と要求されることになってしまった。

 そもそもこの論法を日本が持ち出したのは、北方領土、竹島問題に焦点を当てたからであって、そのツケが、いまブーメランのように返ってきているのです。こんなことになるとは、まったく考えていなかった。戦略欠如の自然流(じねんりゅう)と言っていいかもしれません(笑)。 ---

--- ただし私は、尖閣問題を軟着陸させるウルトラCのシナリオはあると思います。日本が連邦制を布くのです。そして沖縄を、名前は「琉球州」でも「沖縄州」でもいいから、一つの連邦構成主体にする。そこに外交権を一部付与して、交渉権をもたせるのです。

 すなわち、領有に関する問題は、東京と北京の間で交渉するが、海上事故防止協定と漁業と尖閣諸島の使用に関しては、沖縄の那覇の政府と、当該の中国の地方政府で交渉すると区別してしまうのです。

 尖閣諸島という局所だけみれば、漁業ができるという体制さえ築くことができれば、事は自ずから収まります。漁業問題がクリアになれば、軍も易々とは出て来れない。そういう体制をつくってしまえば、現地も文句は言えません。

 中国の最大の弱点は、「台湾省の中に尖閣諸島がある」と認定していることです。当事者である台湾を除外することはできないのです。

 地方政府同士が交渉するとした場合、台湾省が中国側の当事者になりますが、台湾省を実効支配しているのが、国民党政権なのか、共産党政権なのかは、中国の国内問題です。いずれにしても、中国は、尖閣諸島は台湾省の一部としているのだから、漁船同士が衝突を起こしそうだという問題は、那覇の政府と台北の政府の管掌にになる。

 そこに福建省が入ってくるなら、それを拒む必要もありませんが、いずれにしてもローカル政府のレベルで話し合う枠組みをつくってしまえば、軟着陸できると思います。主権の問題に関しては、日本は「棚上げしていない」と言い続ければいいわけですから。

 今のやり方では、ぎりぎり頑張っても「棚上げ」、悪くすれば、係争地として認められてしまいますね。交渉として、非常に下手なやり方をしています。

池上  中国は、「尖閣諸島は台湾のもの」で、「台湾は中国のもの」で、だから「尖閣諸島は中国のもの」という三段論法ですね。つまり、「台湾は中国の一部だ」と言い続けている。

佐藤  そこを逆用すべきだと思うのです。

池上  そうですね。「われわれは台湾と交渉します」と。---

 

           -------------------------------------------

佐藤  --- 中国当局にしてもイスラム主義に関しては、まだ把握し切れていません。だから、かなり長い間、ウイグル人がメッカ巡礼に行くことも放任していた。巡礼に出ている間に、ワッハーブ派やアルカイダに近いような連中にオルグされて帰国する可能性があるにもかかわらず、です。 

 今は誰も注目していませんが、イスラム主義は、今後、中国国内のイスラム教徒である回族のネットワークにつながる可能性があります。--- 「自分たちは漢族に弾圧されている、これは宗教弾圧だ」と回族が思うようになると、世界のイスラム主義につながってくるかもしれない。そうなると、フィリピン南部のミンダナオからモロッコまで続く「イスラム・ベルト」の問題になります。

 そのとき、地政上の要所となるのがウイグルです。「チュルク・ベルト」と「イスラム・ベルト」の二つのベルトの鍵をなす土地なのです。ウイグル人がもっている複合アイデンティティのうち、ナショナリズムが出てくるか、それともイスラム主義が出てくるか。それによって中国の対策も変わってきます。---

 ある程度、煮詰まってくると、「ウイグル民族派」と「ウイグル・イスラム主義」の間で、おそらく殺し合いが始まります。そのときに初めて、中国中央政府による介入の余地が生じるのですが、結論を言ってしまうと、中国はイスラム主義とは手を握れない。というのは、イスラム主義はネーション・ステート、国家という枠組みを認めないからです。ナショナリストとなら手を結べます。そして高度な自治が付与され、ウイグルが主権に近いものをもつようになれば、今のチェチェンと同じ形になります。---------------------------

池上  数年前までのウイグルで起きる反発は、「漢民族に対する不満」、あるいは「ウイグルの文化が失われることへの反抗」というものでしたが、最近の警察襲撃などは、明らかに「イスラム主義」的な行動様式ですね。そして、どんどん過激になりつつある。まさにジハード(聖戦)です。

 単なる反発ではなく、ジハーディストとなると、自爆テロがあり得るわけで、今は急激にその方向へ移りつつあります。中国当局がそういうことをよくわかっていなくて処理を誤っているから、さらにその方向へ押しやっている、という印象を受けます。

佐藤  中国をよく見ているロシア人が、不謹慎なのだけれども、「ウイグルで衝突が起きたら日本は一息つけますね」と言っていました。西と東の両方で揉め事を抱えるわけにはいかないから、中国の国家安全部長は叱責を受けたはずだ。「何をしでかしたんだ、東で挑発している間に、西が滅茶苦茶になっているじゃないか」と。

 中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。

池上  つまり、中国にとっては、尖閣諸島より、よほどウイグル問題のほうが大事なのですね。

 


 

 外交、交渉などには、高度な知識と知恵と経験が必要とされることはよくわかりましたが、「沖縄州」の実現性は、ド素人の私にも難しそうだとしか思えません。


新・戦争論  池上彰・佐藤優  文春新書 ⑥

第5章  日本人が気づかない朝鮮問題

佐藤  日本の周辺国にも火種はまきちらされています。---

 安倍政権は非常に近い視野しかもっていません。単細胞という批判もありますが、私に言わせれば、半細胞です(笑)。北朝鮮から拉致被害者を取り返せば、内閣支持率が上がるだろうと考えている。安倍政権の日朝交渉は、それ以上でも以下でもないと思うのです。---

 すでに北朝鮮制裁を一部解除しているでしょう。

池上 7月4日に、①北朝鮮籍保有者の日本への入国禁止、日本から北朝鮮への渡航自粛などの規制、②10万円超の北朝鮮への現金持ち出しの届け出と300万円超の北朝鮮への送金報告の義務付け、③人道目的の北朝鮮籍船舶の入港禁止、の三項目を解除しました。

佐藤  この三つの中で一番重要なのは、経済制裁の解除だと思います。---

 北朝鮮に送金できるようになると、その金で何をやるか。北朝鮮は安全保障をリアリズムで考えています。リビアのカダフィ大佐の教訓から学んでいる。それからイランやイラクの教訓からも学んでいます。要するに、下手に出ても、核を持たなければ、つぶされるということです。アメリカに到達する弾道ミサイルをもつことが、アメリカから安全保障をとりつけるための唯一の方策だというのが、今の金正恩政権の発想です。一方で金詰りという現実がある。ここで日本から送金があれば、金には色がついていないですから、それでミサイル技術を開発できると考えています。---

 一方に拉致問題があり、他方に大量破壊兵器問題がある。国際社会、なかんずくアメリカと、日本では、この二つの比重が逆なのです。ここが北朝鮮問題の一番のネックになっています。興味深いのは、安倍さんにとって、民主的な指導者よりもプーチンと金正恩のほうが、波長が合うように見えることです。---

池上  日朝関係をいざ進めようというときに、北朝鮮はわざわざこれ見よがしにミサイル実験をやっているでしょう。挑発的というか、日本がどうせ反対しないだろうと瀬踏みしてやっている感じがします。

佐藤  まさに瀬踏みです。---

--- 消しゴムを投げるどころか、座布団の上に画鋲を置いても、それでも付き合ってくれる、というような対応です。求愛を恫喝で示すというのが、あの国の文化ですから。これは相当愛してくれているみたいだ、朝鮮総連本部ビルの競売問題でも、日本の司法権の独立は強いはずなのに、結果として当面ビルは使っていられそうだし、安倍内閣は本当にいい政権だという感じになっているのではないですか。---

池上  金正日からの権力移譲について準備の期間がなかったため、金正恩はいろいろ無理を重ねています。2013年12月に、事実上のナンバー2で、金正恩の叔父でもある張成沢国防委員会副委員長が処刑されたのも、その無理の現われでしょう。---

佐藤  --- 拉致についても、もう構図はできている、と私は見ています。金正日、首領さま、党中央の深い信頼を裏切って党内に深く潜入したスパイ、つまり裏切り者の張成沢一味が拉致事件の中心であり、インチキな報告をしたのもこの一味であった。では責任はどうするかといえば、全員処刑した、というシナリオになります。-------------------------------

池上  中国にとっては、北朝鮮の労働力も、地下資源も魅力です。さらに韓国もどんどん中国寄りになってくるから、朝鮮半島がまるごと自分の国になるという戦略を描いていたわけでしょう。それが不思議なことに、北は離反するような動きを見せ、南が属国になりつつあるという、南北が入れ替わるような様相を呈してきました。

佐藤  韓国の朴槿恵大統領からすれば、中国がいかに怖いかは自分たちが一番よく知っている、というのではないですか。ロシアやアメリカや日本は、中国の本当の恐ろしさを知らない。朝鮮民族が中国のすぐ傍らにいながら同化されずにやってこられたのは、決定的な喧嘩をしなかったからなんだ、と考えているはずです。歴史をふり返ると、日本と朝鮮が単独で戦争したことはないのです。

池上  その通りだ。元寇のときだってそうです。 

佐藤  元と高麗の連合軍ですから。これは、元韓国大使の小倉和夫さんの『日本のアジア外交』の指摘を読んで初めて気づいたのですが、日本が戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も、朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。---

--- 中国といかにうまくやるかということが、韓国の生き残りにとっては死活問題になります。朴槿恵はそう気づいているのでしょう。

池上  中国が経済力においても軍事力においても強くなる一方、アメリカの力は弱くなっています。北朝鮮の核開発も、結局、アメリカには止められなかった。韓国の安全保障は、アメリカではなく中国に頼んだ方がいいと思っているのかもしれません。

 2009年、日本と韓国は安全保障上の関係強化のための軍事協定を結ぶ方向で協議を進めていましたが、調印のわずか一時間前に韓国がキャンセルしました。中国から「日本と新たな軍事協定を結ぶな」と脅されたのです。朝鮮戦争では、多くの韓国人が中国軍によって殺されています。本来なら中国に謝罪要求や責任追及をしてもいいはずですが、中国に対してはそんな感情を抱いていない。これが韓国の「事大主義(小が大に事える)」ですね。韓国は、歴史上、長い間、中国に「事大」し、中国の臣となることで生き延びてきましたから、今も大国・中国の懐に抱かれているのが、心地よいのでしょう。

佐藤  つまり東アジアの秩序が、冷戦よりもはるか昔に戻っているのです。歴史になぞらえると、南北朝鮮は、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできます。あるいは、北朝鮮が渤海だと考えたほうがいいかもしれません。新羅は中国に朝貢していましたが、渤海は日本に朝貢していました。朝鮮半島に統一王朝がない状況で、渤海がなぜ日本に安全保障を求めて来たのか。

 金正恩政権になったとき、北朝鮮のポータルサイトの「ネナラ」に変わった論評が出ていました。「遅れた日本に文化を伝えた渤海」というのです。そこには、天皇から衣冠をもらった人など、日本に朝貢していた人の名前が挙げられていました。これは明らかに日本へのシグナルです。北朝鮮の渤海化がいま起きているのかもしれません。

 あるいは韓国が新羅と化しつつある。同じ朝鮮半島の国といっても、韓国と北朝鮮は、三国の時代から、もともと違うのであって、だからこそ南北の分断もこんなに長く続くのだ、と言いたいのかもしれない。--------

佐藤  もうひとつ、歴史になぞらえることで連想されるのは、1970年代の東ドイツで起こった「プロイセン見直し運動」です。「われわれはプロイセン人だ」「西ドイツ南部のバイエルン人とは違う」と、「プロイセン的なドイツ人」という別民族を立てて行こうとする運動でした。実際、東ドイツは、プロイセンという基盤がなければもっと早くに崩壊していたと思います。

池上  南北朝鮮が、東西ドイツの分断とアナロジーになるのですね。

佐藤  そうです。同じドイツといっても、食べ物からして違います。---

池上  バイエルンのほうへ行くと、「ラテンだな」と感じますね。北のドイツ人は、ムスッとして、エレベーターで一緒になっても挨拶もしない。それがミュンヘンあたりでは気軽に「ハーイ」ですから。

佐藤  --- 朝鮮半島からの日本人の帰還問題を考えるにしても、ロシアからのドイツ人の帰還問題や古代の渤海とのアナロジーなど、「未来としての過去」が重要になってきます。そして近代以前の歴史となると、必ず宗教が絡みます。宗教と歴史が、これからの国際情勢を読むときのカギになって来ると思うのです。

池上  冷戦時代に封印されてきたものが、一挙に吹き出ているわけですね。

 


 

 ふーーーん、新聞記事を読んでいるだけではチンプンカンプンなだけの事柄が、納得の行くかたちで繋がりました。 

 安倍政権のとっている姿勢は、「 --- 消しゴムを投げるどころか、座布団の上に画鋲を置いても、それでも付き合ってくれる、というような対応です。求愛を恫喝で示すというのが、あの国の文化ですから。これは相当愛してくれているみたいだ、--- 」という風に金正恩は受け取っているだろうという解説は、非常に分かりやすいものでした。 


新・戦争論  池上彰・佐藤優  文春新書 ⑤

第4章  「イスラム国」で中東大混乱

池上  2011年の「アラブの春」では、北アフリカのチュニジアから始まった民主化運動がエジプト、リビアに飛び火して、各国で長期独裁政権が倒れました。私たち日本人にすれば、「独裁政権が倒れて民主化されるんだ。少しは世の中進歩するんだな。いいことだな」と、つい思ってしまいました。

 でも、アラブにおいては、現実はそううまくは運ばなかった。その後の国づくりは難航し、中東に民主化が広がるどころか、むしろ混乱が広がっています。---

 シリアでは、アサド政権と反政府勢力の内戦により、死者は数十万人を超え、周辺国へ逃れた難民は、280万人にのぼります。バッシャール・アル=アサド大統領の独裁に反対する民主化運動だったはずが、周辺国の思惑や反政府勢力内部の抗争で複雑化してしまったのです。もともとシリアでは、イスラム教シーア派系のアラウィ派のアサド一族が、国民の70パーセントを占めるスンニ派の住民を抑圧する構造になっていました。

佐藤 そうですね。アラブ世界は、イスラム教の宗教対立を抜きにしては考えられません。

池上  ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、預言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。

 ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、預言者の代理人です。

 このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があったほうの後継者が続きました。

 四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。

 一方、血統にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。全世界のイスラム教信者の85パーセントをスンニ派が占め、シーア派は15パーセント。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。

佐藤  シリア問題もこの宗教対立が根底にありますが、今回のキーワードは、「アラウィ派」です。今のシリアのバッシャール・アル=アサド政権は、アラウィ派によって成り立っている。

 日本の新聞報道では、「アラウィ派=シーア派」とされていますが、これは誤解を招いてしまう。アラウィ派がシーア派だとされはじめたのは、1974年くらいのことにすぎず、イスラム教の長い歴史のなかでは、つい最近のことです。それも、アラウィ派がレバノンのシーア派に認証を強いた結果です。

 そもそもアラウィ派は、輪廻転生説が中心です。シリアの北西部に神殿があり、そこにキリスト崇拝も加わっていますが、何よりも特徴的なのは、基本的に同族結婚であること、あの地域の被差別民だということです。

 シリアは、第一次大戦が終わった1918年、それまでの植民地支配から国際連盟のもとでフランスが委任統治をすることになりました。するとフランスは、現地の行政、警察、そして秘密警察までを、アラウィ派に担わせたのです。すなわち、政治をすべて被差別民に任せたということです。多数派に統治させると独立運動などを起こしかねない、少数派ならば、フランスへの依存から逃れられないだろう、という計算があったことは疑う余地もないでしょう。---

 シリア問題の第二のポイントは、シリアには野党勢力がないという点です。

 一連の「アラブの春」では、ほとんどの国で、「ムスリム同胞団」という反政府勢力の名前が聞かれました。これはエジプト出自の組織です。新聞は、穏健派だと書きますが、この種の組織の性格上、穏健派と過激派の線引きはむずかしい。---

 そのムスリム同胞団が、シリアにはいません。かつてはいましたが、現在のバッシャール・アリ=アサド大統領の父親のハーフィズ・アル=アサド前大統領が皆殺しにしたのです。---

 その数2万人と言われます。2000万人余りのシリアの人口からすると、0.1パーセントもの大きな数です。

 そもそも現大統領のバッシャール・アル=アサドは、本来は、イギリスに留学経験もある眼医者で、インテリです。ところが兄バーセルが1994年に事故死したため、無理やり父親の後継大統領にされた。宗派対立をのりこえて、国民和解の必要があると、夫人をスンニ派からもらいました。スンニ派の金持ちたちを味方につけ、軍の要職にも少しスンニ派を入れました。ですが、こうした努力もむなしく、やはりうまくいかなかった。紆余曲折を経て、結局、毒ガスを使うことにもなりました。

池上  --- アメリカのオバマ大統領は、アサド政権の仕業と見て攻撃しようとしましたが、共同行動をするはずだったイギリスが議会の反対で脱落。すると、オバマ大統領も議会に諮るという異例の行動に出ましたが、否決されそうな形勢になると、結局「シリアの化学兵器を国際管理で破棄させるから軍事介入をやめる」というロシアの仲介を受けいれて攻撃を中止したのです。

佐藤  --- それと前後して、フランスやイギリスも、シリアに反体制派がないと都合が悪いというので適宜反体制派をつくろうとしたけれども、適当な勢力がない。そこで、日本で言えば、六本木や西麻布を歩いている半グレみたいなのを見つけて来て、制服を着せて、金と銃を渡したのです。---

 サウジアラビアとカタールも、シリアに自前の反体制派を抱えていましたが、最終的には、そこへアルカイダ系の人たちが入り込んだため、ますます収拾がつかなくなりました。

池上  そこに付け込んだのが、「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」、今の「イスラム国(IS)」です。

 「イスラム国」といっても、国家ではありません。イラクのスンニ派地域に「イラクのイスラム国」という名のごく少数の勢力として存在していて、支持拡大は果たせなかった。ところが隣国シリアで紛争が始まったので、しめたとばかりに「シャーム(シリア・イラク地域)のイスラム国」と名前を変えてもぐり込んでいったのです。たとえて言うなら、1970年前後の日本の革命運動勢力の一部がやったようなことをやったのです。

--- 反政府勢力に入り込んで横取りして行く作戦です。「俺たちも反政府勢力だよ」と言いながら、アサド政権と戦わずに、共通の敵をもつはずの自由シリア軍を攻撃して、陣地をどんどん取っていく。だから、実はアサド政権から支援を受けているのではないかという説まで出ました。---

 まるで親アサド派であるかのように、どんどん勢力を伸ばし、イラクに凱旋して戻ってきたわけです。この過程で中東各国どころか、世界各地から「聖戦に参加したい」という若者たちを集めて、組織を大きく拡大しました。

 彼らは、シーア派のマリキ政権によって不利な立場に追いやられていたスンニ派住民の支持を受けて、イラク北西部を制圧し、首都バグダッドに向けて進軍を開始した。一時は、イラク政府軍が総崩れになるところまで行きました。

 もともとアルカイダ系でしたが、あまりの特殊さと残虐さゆえにアルカイダからも破門されてしまったという過激な組織です。--------

 シリア、イラクの問題が重要なのは、中東全体の構図が大きく変わりつつあることを示しているからです。アメリカとイランの接近です。

 そもそもイランは、ハタミ大統領時代には、9・11テロの後、ニューヨーク市長にお悔やみの電報を送ったり、タリバンの情報を提供したり、アメリカに歩み寄ろうと努力していました。

 ところがブッシュ大統領が、2002年の一般教書で、「悪の枢軸」として北朝鮮とイラクを名指しする際、三カ国ないと収まりが悪いというので、イランを加えてしまった。このアメリカの強硬姿勢に対抗するために、イランでは、反米強硬派のアフマディネジャドが大統領になってしまった。

佐藤  サダム・フセインが倒された後、移行政府を経て、2014年8月まで、イラクを統治していたマリキ政権は、アメリカの傀儡です。アメリカの傀儡なのに、なぜ成り立っていたのか。宗教は十二イマーム派のシーア派で、すなわちイランの国教と一緒だから、イランからもマリキ政権に対する支援がありました。アメリカとイランの両方がサポートしてくれるという、世界でも珍しい状態でした。

 そうした不可思議で、かつ外からは見えなかったパワーバランスが、今回、「イスラム国」が前面に出て来たことによって、すべて露見してしまったのです。---

 アラブの春を考えるときに、もう一つのポイントがあります。

 アラブの春で独裁政権を倒すのは、「民主化運動だ」と信じて行動した人もいました。アメリカやヨーロッパも、そう期待した。

 しかし、それよりも一歩踏み込んで、アラブの春によって、中東における共和制型の政権を壊すことに関心をもった国がある。それはどこかと言うと、湾岸の王制の国々、とくにサウジアラビアです。アラブの春による混乱に乗じて、サウジアラビアが中東における覇権を確保することを狙っていたのではないか。--------------

 莫大なオイルマネーを手にしているサウジアラビアというのは、あの地域の超大国。そのサウジアラビアの行方は、今後の大問題です。まず国王の後継者問題がある。しかも一夫多妻制で、いろんなところに小さい権力のセンターがあるから、一人異動すると全部玉突きで動く。複雑系の世界です。--- 基本的に「サウジアラビア」というのは「サウド家のアラビア」という意味ですから、家産国家です。30年くらい前まで国家予算というものがなかった。国家予算と家計が渾然一体となっていた。---

 国会も国政選挙もありませんが、国すなわちサウド家が国民の生活の面倒を全部見てくれる。汚い仕事やきつい仕事はイエメン人やパキスタン人にやらせて、サウジアラビア人は高級官僚になる。今だって王族が巡行するときに、メープル金貨などの袋を持って行ってベドウィンなどに配っているじゃありませんか。---

 スンニ派大国サウジアラビアを理解するためにも、われわれはまずスンニ派の大枠を知っておかないといけません。

 スンニ派は四つの法学派から成り立っています。まずハナフィー法学派。これはトルコに多いです。次にシャーフィイー法学派。これはインドネシアと、ロシアの北コーカサスにいる。それからマーリキ法学派で、エジプト、チュニジア、リビアにかけての地域にいる。しかしこの三つは忘れてもいいのです。各社会の習慣や祖先崇拝と適宜折り合いをつけているからです。過激になりにくい。

 過激な運動が出て来るのは、四番目のハンバリー法学派です。これは原理主義そのもの。コーランとハディース(ムハンマドの伝承集)しか法源として認めない。---

 このハンバリー派の中のかなり急進的なグループがワッハーブ派です。ただしこれは他称で、自分たちではワッハーブ派とはいいません。サウド王家のサウジアラビアの国教が、これなのです。そしてちょっと乱暴に整理すると、ワッハーブ派の中の最大の過激派で武装集団であるのがアルカイダや「イスラム国」です。

 その考え方は、アラーは御一人であり、それに対応して天上の法律も一つ、地上の法律も一つ。したがって、一つの法律を一つの国家、カリフ国家が体現して、それを支配するのがカリフ皇帝であるという独裁制を狙っている。サウジアラビアも建前はそうです。---

 問題なのは、今、世界的にハンバリー法学派が増える傾向にあることです。--- 

 まずふだんは、法学派間の対立などありません。ハンバリー派だとかシャーフィイー派だとか言って喧嘩することはないし、スンニ派とシーア派も一緒にやっています。対ユダヤ教徒や対キリスト教徒だったら自分はムスリムということで一致できます。ですから、ムスリムどうしの喧嘩はない。彼らは複合アイデンティティをもっていて、どのアイデンティティがどの位相で出るかが、短期で変わるのです。

 したがって異教徒が、スンニ派とシーア派を分断してやろうなどという浅知恵でスンニ派に肩入れしても、現場ではシーア派もスンニ派も一緒になって反米活動をやっていたということはいくらでもありえます。そこをアメリカ人もよくわかっていないから、イランのシーア派は「悪い原理主義」だが、サウジのスンニ派は「善い原理主義」だという二分法で、アフガニスタンでビン・ラディンたちを支援したわけです。

 反対に、わかっているのは、イギリス人とロシア人です。イラクの統治をしたのはイギリス人でしょう。

 これはアーネスト・ゲルナーという社会人類学者が、『民族とナショナリズム』という本に書いているエピソードですが、イギリスは、植民地支配するときに近代的な裁判所や行政機構をつくったりしないのです。部族どうしが殺し合いをするときは、イギリスの警察署に事前に計画書を提出しろ、そして殺してきたあとは、どれだけ戦果があったか報告しろ、それだけやっていれば構わないという。---

 西洋基準の文明的な統治をする考えはいっさいないわけです。自分たちの統治に服していればあとは適宜やらせておいて構わない。これがイギリス流です。---

 結果的に多文化主義になるというか、非常にシニカルなのです。------------------

--- シーア派の特徴として、嘘をついていい、ということがあります。シーア派は、イスラムの中の非主流派です。主流派のスンニ派はインチキなんだから、インチキにに対しては、「おまえはシーア派か」と問われたら、「とんでもない、私はスンニ派です」と答えてもいいのです。---

池上  コーランの中にも、最後の最後には自分の身を守りイスラムを守るためなら嘘をついてもいい、というニュアンスの文言が出てきます。

佐藤  とにかくこの世は暗黒だ、だから嘘をついてもいいという話。嘘をついてもいいというのがルールに入ると、外交も政治もものすごく複雑になる。約束をしたら守る、「合意は拘束する」というのがローマ法の原則として決まっているでしょう。それが西側社会の原理になっている。しかし、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束していない」というのが含まれると、メタ理論が入ってきて、ものすごい複雑系になります。

 だからシーア派とつきあうと大変です。常に戦時、非常時だという認識でいるのがシーア派です。シーア派が主流で権力を握っているのは、国家としては、イランとアゼルバイジャンだけです。

 ただ、「スンニ派は怖くなくてシーア派が怖い」というのは、アメリカの作った神話です。前に述べたように、アメリカ人は、「善い原理主義」と「悪い原理主義」がある、と思っていた。目玉をくりぬいたり手を切ったりしても、革命を輸出しないし、アメリカ人をやっつけないサウジアラビアの原理主義は「善い原理主義」。だからオサマ・ビン・ラディンも大丈夫。アメリカ大使館を占拠するイランのシーア派は「悪い原理主義」。そういうふうに「善い原理主義」と「悪い原理主義」に分けないとアメリカ人はわからないのです。しかしその後、やはり両方とも「悪い原理主義」だということになり、最近はイランのほうがマシじゃないかという雰囲気になってきました。----------

池上 --- イランとアメリカが接近すると、今度はイスラエルが怒りだすのではありませんか。

佐藤  その点では今、不思議な現象が起きています。イスラエルが全力を挙げて、シリアのバッシャール・アル=アサド政権を支持している。これは要するに、イスラエルからすれば、アサド政権は予測可能な敵であるというのです。もう4回も戦争をした相手で、大体何をやるかわかっている。政権が倒れてシリアが混乱したら何が起こるか予測不能だから、それよりはわかる人たちに敵としていてほしいというわけです。

池上  もう一つ、今イスラエルが最も恐れているのは、隣国ヨルダンの王制が崩壊することでしょう。イスラエルと国交を結んでいるのは、アラブではヨルダンとエジプトだけですから。

佐藤  ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。--- もし今、テロでアブドゥラ国王が殺されたら、この国は本当にカオスになります。「実は『イスラム国』が狙っているのはそれだ」というのが、私の「アラブじゃない中東某国」の友達の見方でした。---

 フセイン前国王は、イスラエルとの国交を樹立しました。そのときのイスラエル側の交渉担当がエフライム・ハレヴィという、後のモサド(イスラエル諜報特務庁)長官で当時は副長官でした。--- 

 PLO(パレスチナ解放機構)と過激派ハマスのテロが続き、ハマスのマシャル政治部長がヨルダンでそれを指揮していた。そこでモサドはマシャルを殺すことにした。ところが、毒薬の量とかけ方を間違えて、マシャルは死ななかった。それだけではなく、モサドの暗殺部隊の二人が拘束され、残りの3人がアンマンのイスラエル大使館に逃げ込んだのです。---

--- ハレヴィさんは --- 向こうの秘密警察の長官と話した。国王が怒っている、まず解毒剤を持った医者をすぐに送ってマシャルを助けろ、というので、それを実行しました。さらに、何かお土産を考えろと言われて、ハレヴィはイスラエルの刑務所に入れてあるハマスの指導者ヤシンを釈放してヨルダンに送ることにするのです。イスラエルの首相は腰を抜かして、「釈放なんかしたらまたテロを起こすじゃないか」と反対したけれど、どうせイスラエルの刑務所にいたって仲間に指示を出してテロをやってるじゃないか、ここは釈放するしなかい、そのあとで殺せばいいんだ、という考えでヨルダンに送ったそうです。

 フセイン国王も喜んで、これで面子が立ったとしてイスラエルの工作員を返した。ヤシンはパレスチナに凱旋し、案の定、徹底的にテロを始めました。そしてその後イスラエルはやはりヤシンを殺したのです。

池上  無人機、ミサイルでやりました。

佐藤  無人機、空飛ぶ五寸釘のような誘導兵器で殺した。もちろん、ヤシンを釈放したためにテロでイスラエル人も相当死んだわけです。

 何が教訓かと言えば、取引というのはそれくらいの覚悟でしないとダメだよ、ということです。そういう耳学問をしていると、「そうか、そんなふうに考えるんだ、中東で生きるこの人たちは」とつくづく思います。

 ハレヴィさんというのがまたすごいインテリなのです。--- 見た目は大人しそうでユーモアに富んだインテリのおじさんが、人を殺しても何とも思わない。

 イスラエル人は、外見は白人みたいでも、ヨーロッパやアメリカと一緒と思ったら大間違い。みんな「中東の人」なのです。イスラエルの連中と話すと、中東の人たちが何を考えているのか、こういうときには何をするのか、皮膚感覚で分かってきます。

 


 

 「アメリカの民主主義が一番正しい」と信じている(信じ込まされている)日本人には、中東の人々の論理を理解することが非常に難しいということが、よく分かりました。

 何の疑いも持たずに、「アメリカは常に正しい」「民主主義が一番」と私たちは信じてきましたが、そうでもなさそうだと、多くの人たちが気付き始めたように思います。 

 

 

 

 

 


前の10件 | -